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ジョイチャペル JOY CHAPEL
成熟をめざして
2026.4.26 へブル人への手紙5章11-14節 新年度になってひと月になろうとしています。新入学のピカピカの1年生もやっと学校に慣れてきた頃でしょうか。親の心配をよそに元気に登校する子。反対にいつまでも親から離れられない子。親はどんな子であっても、子の成長を願うものでしょう。 同じように、神様も、神の子どもたちの成長を願っておられるのです。 今日の聖書箇所は、神の子どもとして、どういう歩みをしたら成長していけるのかを考えさせられる内容です。 へブル人への手紙5章11節から見ていきましょう。 この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。 「この方」キリストについてたくさんのことを話したいが、「あなたがたの耳が鈍くなっている」霊の耳がよく聞こえなくなっているので、難しいというのです。「鈍くなっている」の元々の意味は、「怠けている」なので、聞こうとしていないのです。 熱心にキリストの姿に変えられることを願っていない。主の御心にかなった歩み

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6 日前読了時間: 6分
常識を超える神のあわれみ
2026.4.19 ルカの福音書13章10-17節 今日の聖書箇所はイエスさまが、安息日に18年間も病の中にいた女性をいやされた、というのがまず記されています。10~13節 イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。 すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。 イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました。」と言って、 手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。 イエスさまが安息日になされた奇跡の一つです。 病の霊につかれて 腰が曲がっていた、とあります。18年も腰が曲がっていました。この女性にとって、これは辛い毎日であり、悲惨な状態での生活だったことでしょう。イエスさまは、この女性を(あわれみの目で)「見て、呼び寄せ」、病をおいやしになりました。 16 節で、「十八年もの間 サタンが縛っていた 」とイエスさまは言われました。ですから、これは単に病による苦しみ以上の、霊的な抑圧であることが分かります。 神が、エバを惑わしたサタンである蛇に対し

木村勉(ジョイチャペル牧師)
4月19日読了時間: 7分
もう一年、もう一年の愛の神
2026.4.12 ルカの福音書13章6-9節 イエスさまは、よくたとえを用いてお語りになりました。 みなさんは、イエスさまのどんなたとえ話が思い浮かびますか? ルカ15章には、「100匹のうちの迷子の1匹」「10枚の銀貨のうちのなくした1枚」「放蕩息子」と3つのたとえ話が続きます。 ほとんどのたとえ話は、イエスさまがその直前に教えられた大切なことを受けて、それを当時の人たちや弟子たちの理解を助け、「そういう事なのか」と受け止められるために語られたのです。たとえば、ルカ15章では、イエスさまが罪人たちと一緒に食事をしていることへの批判に対して語ったものでした。ルカ10章の「良きサマリヤ人たとえ」の時は、律法学者が「私の隣人とはだれのことですか」に対して、また18章の「パリサイ人と取税人の祈りのたとえ」は自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して語られたわけです。 今日のたとえの直前は「悔改めねば、滅びる」との宣言の後に語られたものでした。 「最後の執り成し 」「実を結ばない者さえあきらめない主」と題しても良い内容の

木村勉(ジョイチャペル牧師)
4月12日読了時間: 6分
動かされていた石
2026.4.5イースター マルコの福音書16章1~8節 イースターおめでとうございます。声を大にして「主イエスは死からよみがえりました」と世界中に叫びたい、そう思います。まさに、歴史が変わる大きな、大きな出来事、 それがイースターです。 世界の歴史が変わるほどの大事件なのですが、この出来事を、ただ単にキリスト教のお祭り、あるいは、2000年前にそういうことが起こったという、言い伝えだと言って終わってしまったら、何の意味もありません。 私たちにとってのイースターはどういう意味があるのかを、しっかりと受け止めなければなりません。 死者がよみがえる。ありえないことでしょう。でも、神にはそれができる! と信じることがキリスト信仰、聖書信仰なのです。 死んでいた者が生きる者へと変えられる。聖書は、私たちひとりひとりにイースター、復活祭が必要なのだと教えるのです。 どうことでしょう? エペソ人への手紙2章1節には、 「あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいた者」 とあるのです。 同じエペソの2:4~6には 「しかし、あわれみ豊

木村勉(ジョイチャペル牧師)
4月5日読了時間: 7分
全地が暗くなった
2026.3.29 マタイの福音書27章45-54節 今週は、イエスさまが十字架にかけられて苦しみの後に死なれた、受難週を迎えました。 私たちは、このイエスさまの十字架と受難を心に留める一週間を過ごしたいと思います。 「ノー レイン、ノー レインボー」と言う言葉があります。雨降りは嫌だと思う時があるかもしれません。でも雨が降るからあの美しい虹が見られる、と言う意味です。 もう一つ、「ノークロス、ノークラウン」と言う言葉があります。キリストの栄光、キリストの復活、その前には苦しみがあります。受難があります。主の十字架があったから、復活があり、私たちにも復活の希望が与えられたのです! 教会のシンボルは十字架です。十字架は十字架そのものがメッセージであり、十字架は私たちに語ります。十字架が私たちに何を語っているか、この受難週はそれに耳を傾けて欲しいと思います。 イエスさまは十字架上で7つの言葉を語られました。これは7つですから7日間。今日から始めれば土曜日まですることができる、黙想の内容です。今週、十字架上でイエスさまが私

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月29日読了時間: 7分
お願いします
2026.3.22 ヘブル人への手紙5章1~10節 ヘブル人への手紙は、その名の通りへブル人=ユダヤ人に向けて書かれた手紙です。 ユダヤ人は、旧約聖書を、特にそこに書かれている律法を守ることが、神に喜ばれる、受け入れられる信仰の在り方だと考えていました! そういうユダヤ人に対して、旧約聖書全体が、実は真の救い主キリストを指し示しているのだ、と語るのです。 イエスキリストは、ユダヤ人の宗教的指導者であり、尊敬されている大祭司にまさる、偉大な大祭司である、とへブル書の記者は語るのです。 この大祭司であるキリストは、どのような祈りをされたのでしょうか? 7節 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。 とあります。 イエスさまは人としてこの世で生活なさっていた時、よく祈っておられました。 ルカ5:16 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。 それは、父である神との交わりの

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月22日読了時間: 7分
コペルニクス的転回
2026,3,15 ルカの福音書13章1-5節 今、私たちは「会堂購入」という大きな働きのために、ひとり一人が祈り、神様に示されたものをおささげしています。 このことについて、私からみなさんに2つのお願いがあります。 一つ目は、「私は、ほかの人のように献金は出来ない。申し訳ない。」と、思わないで頂きたい!それぞれの方が置かれている状況はみんな違います。神様はご存じですから、「神は喜んで与える(ささげる)人を愛してくださいます」とⅡコリント9:7にありますから。 もう一つは、全員がささげて頂きたい、ということ! 今、言ったように、額ではなく、喜んでささげてください。誰一人「私はどうなるか、見ています」「私は、そういうつもりで教会に来ているわけではないので」などと言わないで、教会に来られている方で部外者は一人もいません。 神様が、こういう時に、この教会に来させてくださったのです。傍観者にならないで、神が導かれた、この大きな働きの中に加わってください。 そして、一緒に、神の御業の「目撃者」になって頂きたいのです! ...

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月15日読了時間: 8分
恵みの御座に近づこう
2026.3.8 ヘブル人への手紙4章14-16節 今日の聖書箇所も、3節と短い所です。まず14節から。 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。 イエスキリストが、どうして、偉大な大祭司と言われるのでしょうか。 15節を見ると 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。 とあり、私たちの弱さに同情できるお方だからだ と言うのです。キリストは、私たちと同じ人間となって来られ、私たちが経験するありとあらゆる、悲しみや苦しみや痛みや、そういったものを経験されたお方、味わわれたお方です。 イエスさまは、空腹を、貧しさを、疲れを、そして、悲しみ、裏切られることの痛み、人から誤解されることの寂しさを経験されました。 イエスさまは、人々を愛し、一緒に笑い、時には涙を流されました。また、嘆かれ、怒り、憤り、さらに孤独、失望も知っておられました。 私たちが激しい痛みや苦しみの中にある時、人の慰めとか、

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月8日読了時間: 7分
今の時代を見分ける
2026,3,1 ルカの福音書12章54-59節 今日の聖書箇所は、イエスさまがまず、天気の話から始めるのです。54節。 群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ。』と言い、事実そのとおりになります。また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ。』と言い、事実そのとおりになります。」 2千年前も、現在も、人間は、今日の天気はどうなのか、明日の天気は、この先の天候は、というように気象に関しては大きな関心を払います。みなさんも、いろいろな形で天気についての情報を得ていると思います。TVやネットの天気予報、気象情報など。少なくても、一日に複数回は見ているのではないでしょうか。今は、いろいろな技術を使って、正確な予報が出されています。しかし、そういったものがなかった時代にも、人々は、天気を予測する術を持っていました。 イエスさまの時代のイスラエルでも、人々は自分たちの経験から、天気を予測することができたのです。ですからイエスさまも「あなたがたは、西に雲が起こると『にわか雨が来るぞ。』と言い、

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月1日読了時間: 7分
神のことばは生きている
2026.2.22 ヘブル人への手紙4章12~13節 冬季オリンピックも今日で閉幕ですね。日本選手がこれまで以上に活躍した感動的な場面がいくつもありましたが、みなさんは、どんな競技に関心をもってご覧になったでしょうか? スノーボードのハーフパイプ、すごかったですね! よくあんなに高く飛び上がって、縦横に何度もくるくる回って着地できるのか!それも1回だけでなく、何回も連続して! 相当練習しなければできないでしょう。 オリンピックに出る選手たち、特にメダルを争う選手たちは、おそらく、毎日練習を積み重ねているのでは、と思います。もう生活の一部になっているのでしょうね。そういう生活、練習を続けていく目的は、メダルを、できれば金メダルという栄冠を勝ち取ることなのでしょう。 聖書の中にも、「栄冠を得るために」と語っている人物がいるのをご存じでしょうか? どこにそんなことが書いてあるのでしょう。 ピリピ人への手紙3章14節 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。 ...

木村勉(ジョイチャペル牧師)
2月22日読了時間: 7分
聖霊の火を投げ込む主
2026,2,15 ルカの福音書12章49-53節 私たちが何かするときには、必ずと言っていいほどそれをする目的があります。 買い物をするために、スーパーに行きます。 今日、みなさんが教会に来られたのは、礼拝をささげるためです。 もし、みなさんが誰かに「イエス・キリストは、なぜこの地上に来たのですか?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか? 「イエス・キリストは、私たち罪人のために、十字架に架かって、その罪を赦し、私たちを永遠の滅び=地獄行きの人生から、永遠のいのちを与え、天国へ導いてくださるために来てくださったのです!」 これが満点の模範解答でしょう! 「イエスさまは、私たちを救うために来てくださったのです。」 これだけでもOKです! そこから話がつながっていくでしょう。 イエスさまも、ご自分でこの地上に来られた目的を語っておられます。ルカの福音書5章31節 「罪人を招いて悔い改めさせるため」 また、ルカ19:10には 「失われた人を捜し出して救うため」 これらは私たちが理解してい

木村勉(ジョイチャペル牧師)
2月15日読了時間: 7分
主人の心を知るしもべ
2026,2,8 ルカの福音書12章41-48節 今年の初めに教会として、ローマ人への手紙12章1節が与えられました。 「あなたがたのからだを、神に受け入れられる,聖い、生きた供え物としてささげなさい。」 もう2月になってしまいましたが、ぜひ、この御言葉を暗唱してください。最低1日に1回は、口ずさんでください。 そして、私にとって、この御言葉はどんな意味があるのだろうか? 私に何を語りかけているのだろうか? どう受け取って、どんな態度で過ごしたらいいのだろうか? と、み言葉に向き合って、み言葉に深く思いを至らせてください。すると、そこから新たな悟りが与えられ、示されたことに従っていったら、今まで経験したことのない、さらに祝福された歩みへと導かれていきます。 神様は、私たちを愛するがゆえに、ひとり子イエスさまをこの地上にお遣わしになり、私たちの罪を赦し、救ってくださり、聖め、神の子とし、永遠のいのちの希望を与えてくださいました。 そして、なんとエペソ人への手紙1章4-5節には 神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあ

木村勉(ジョイチャペル牧師)
2月8日読了時間: 7分
神の安息に入る
2026.2.1 ヘブル人への手紙4章1~11節 今日の聖書箇所の中心テーマは,「安息」「神の安息」です。 安息を辞書で調べると「心身を安らかにし、静かに休むこと。」とありました。この辞書の安息の意味を知った時、私の安息のイメージが浮かんできました。 私にとってのごく身近な例あげると、毎日、我が家の風呂に浸かって、ゆったりするわけですが、さらに大きな浴槽で、体を伸び伸びと広げられることは、小さな安息の時間なのです。ですから、そういう時間を求めて1年に数回、スーパー銭湯に行くわけです。 でも、私のこの安息の時は、行った時だけのほんの2~3時間だけですが、今日、お語りするのは、そんな一時的なものではない、「神の安息」なのです。 今日の箇所では、この安息と言うことばが、いろいろな形、意味合いで使われています。 そのひとつは、エジプトで数百年間奴隷状態であったイスラエルの民が、神の力によって脱出をし、モーセに率いられて、荒野を40年の間さまよった挙句に、いよいよ約束の地に入る、この約束の地に入ることを、安息の地に入

木村勉(ジョイチャペル牧師)
2月1日読了時間: 7分
一つのからだには多くの器官が
2026.1.25 今週の講壇 ローマ人への手紙12章1~9節 私たちはこの年、20周年を迎え、会堂をどうすべきかという、大きな祈りの課題をもって歩み始めました。 これも、神様のご計画の中にあることだと思います。慌てず、恐れず、浮足立たないで、地に足のついた信仰の歩みをしていきましょう。 どんな状況の中に置かれても、クリスチャンの基本である、祈りとみ言葉! 心からの礼拝をささげていくことを大切にしていきましょう。 新年に与えられた聖書の言葉は、ローマ人への手紙12章1節の あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 私たち自身をささげる!全存在、全生活をささげていくのが、クリチャンの歩みです、と年始めにお語りしました。 では、この聖書の言葉は、自分にとってどういうことなのか。そのことを、ぜひ、祈って神様からの導きを、示しを、頂いてほしいと思います。 私たちは、神様から「救い」という、何物にも代えがたい恵みの賜物を

木村勉(ジョイチャペル牧師)
1月25日読了時間: 6分
主イエスは救い主です
2026.1.18 マタイの福音書24章1-8節 今日も、先週に続いて、11日にボーマン先生が語ってくださったメッセージを、私が受け止めさせて頂いた内容をもとに、お語りしたいと思います。 イエスさまが私たちの罪を赦すため、十字架に架かって、死んでくださったことによって、神の愛とあわれみを現わしてくださいました。イエスキリストこそ、私たちの救い主なのです。 この神さまは昨日も今日も変わらないお方、永遠の救い主なのです。 聖書に照らし合わせると、私たちは今、終わりの時に生きています。黙示録には、終わりの時代のことが書かれています。 「黙示」なので、様々な解釈がなされてきました。ゆえに難解の書と言われているのですが、人々が大切なことに無知でないようにと、イエスさまも、パウロも将来のことについて多くを語っています。 しかし、難解な部分が多いのです。 イエスさまはマタイの福音書24章で世の終わりの前兆について語っています。4-8節で 「人に惑わされないように気をつけなさい。わた

木村勉(ジョイチャペル牧師)
1月18日読了時間: 7分
すべてを新しくする
2026.1.11 ヨハネの黙示録21章1~7節 今日は先週の新年礼拝に来てくださった、ボーマン先生のメッセージを早朝礼拝に来ておられるみなさんに、私が受け止めたものを、分かち合いたいと思います。 まず、先週の招詞の詩篇23篇を取り上げ、6節が心に響いたとのこと。 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。 「私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」の箇所で、永遠に、天国の住まいで生きることができる、新しい天に思いを馳せた、というのです。 人は、後悔をする。過去を振り返るから。 伝道者の書1章9-10節には 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下に新しいものは一つもない。「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。 とある。 「新しいものはない」、神のみが、新たにすることができると伝道者は語るの

木村勉(ジョイチャペル牧師)
1月11日読了時間: 6分
生きた供え物として
2026.1.4 ローマ人への手紙12章1~2節 新年の最初の聖書箇所は、ローマ人への手紙12章に導かれました。12章1節 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 (「神に受け入れられる」とありますが、私が持っている8種類の訳の聖書のうち、7種類は「 神に喜ばれる」 となっています。) 「そういうわけですから」で始まります! どういうわけ? 1~11章全体を受けて、と考えられます。神の救いに与かった私たちは、そのことを知ったのですから、それを受けたのですから、神に喜ばせて頂いたのですから、じゃあ、12章から最後までは、今度は私たちが何をすべきか、私たちはどのように生活して、神に喜んで頂くことができるのか、いかにして、神の栄光を現わすことができるのかを、書き進めるのです。 パウロは親しみを込めて語りかけます。「兄弟

木村勉(ジョイチャペル牧師)
1月4日読了時間: 6分
主に感謝せよ
2025.12.28 詩篇107篇1~9節 いよいよ今年最後の礼拝を迎えました。2025年もあと3日! 新年を迎える準備はできていますでしょうか? 私は、ほとんど出来ていません。せめて、自分の部屋の片付けくらいはと思っているのですが・・・。 そんな中ではありますが、主の日の朝、こうしていつも通り礼拝を守ることができて感謝します! 今日は「年末感謝礼拝」、1年の最後の礼拝です。 ですから、今日はみなさんと一緒に聖書を読み、賛美し、祈り、そして、毎年恒例のようになっている、神様に、ただただ、この1年の感謝をささげる礼拝としたいと思います。 この1年を振り返って、神様に具体的な感謝をささげるときとしましょう。 そうは言っても、この一年、現実的には、辛い、困った、苦しい、行き詰まった、また、「えっ!なんで? どうして?」と、そういう経験をした方も、いらっしゃることでしょう。体の不調、不安を感じた方、病院のお世話になった方、ずーと祈っているのに、なかなか病から解放されない方も。 いいことばかりなんかじゃ、ありませんでしたよ、という方も

木村勉(ジョイチャペル牧師)
2025年12月28日読了時間: 6分
神が私を捉えてくださる
2025.12.21 ルカの福音書1章26-31節 今日こうしてみなさんと一緒にクリスマス礼拝を持てることを感謝します。ご一緒に、クリスマスのご挨拶をしましょう。「メリークリスマス!」 毎年、教会でクリスマス礼拝を守っておられる方が多いと思います。ですので、今日はクリスマスの出来事そのものより、クリスマスに来てくださったイエスキリストを通して人生を、考え方を変えられた方を紹介をして、クリスマスの恵みを味わいたいと思います。 だいぶ前になりますが、NHKで「ひょっこりひょうたん島」という人気のTV番組がありました。この番組の製作者であって、元NHKのチーフディレクター武井博さんという方の話をさせて頂きたいと思います。 この方がクリスチャンになって、人生の最後の期間を、精一杯神さまに仕えて生きたいと思い、なんと60歳を超えてから、神学校に入学し、聖書を学び、牧師になられた方なのです。 この武井先生の奥様が2年前に天国に帰られました。 武井博先生は、もうすでにコロナの中でお亡くなりになられて、奥さんはコロナ禍の中で、お別れがちゃん

木村勉(ジョイチャペル牧師)
2025年12月21日読了時間: 8分
クリスマスは奇跡が起こる
2025.12.14 ルカの福音書2章8~14節 (1)クリスマスに俳句? 私事で恐縮ですが昨年8月から、誘われて町内会の「俳句の会」に参加して、月に1回の会で俳句作りをしています。多少の躊躇はありましたが、新たに地域の方との関係性も作れる機会にもなると思って、参加させて頂くことにしました。毎回、次回のお題が講師から出され、その題に沿った俳句を4句作って持っていくのですが、12月の題は、「クリスマスに関連したもの」でした。私にとっては、待ってました、といった題だったので、帰宅してすぐに作りました。この程度のものですが、みなさんに披露させて頂きたいと思います。 キャンドルの 光に照らされ ひれ伏しぬ 神の子が 人となりにし きよき夜 年の瀬に 聖さを求めて チャペルへと プレゼント サンタのはずが 値札あり (2)天使が伝えたメッセージ 教会では、いくつものクリスマスの集会がこれからも開かれます。「年の瀬に 聖さを求めて チャペルへと」導かれる方が起こされるように、そして、「キャンドルの 光に照らされ ひれ伏しぬ」と、神の光に照ら

木村勉(ジョイチャペル牧師)
2025年12月14日読了時間: 6分
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