top of page
ジョイチャペル JOY CHAPEL
死の向こう側
2026.10.25 ルカの福音書16章19~31節 イエスさまは、いつも身近なもの、身近な事をとり上げて話されるので、その話はとてもわかりやすいのです。今日の聖書箇所も、内容自体は理解しやすい話です。 今日は19節からですが、 ある金持ちがいた。 と話し始められるのですが、それまでの話と違うのは、次の20節 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が・・ とあって、「ラザロ」と名前で呼ばれる人物が出てくるのです。 今日はここから、イエスさまが私たちに何を教えようとしておられるのかを見ていきたいと思います。まず19節 ある金持ちがいた。いつも紫色の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 「金持ち」とありますが、この金持ちは大金持ち! 紫色の衣や細布を着て暮らすのは、大金持ちか高貴な人、そういう人の服装です。 着たいものがあれば何でも着ることができる、欲しいものは何でも手に入れることができる。食べたいものがあれば、何でも食べられる。したいことは思うようにできる。そういう毎日を

木村勉(ジョイチャペル牧師)
5 日前読了時間: 7分
キリストを求めて生きる
2026.10.18 ルカの福音書16章14~18節 イエスさまは、これまで15章で3つ、16章に入って1つと、4つのたとえ話を連続して語られました。取税人、罪人たち、また弟子たちに対して語ったのですが、その場には、パリサイ人や律法学者もました。 前回の話では、不正な管理人の抜け目のなさをほめ、不正の富を用いて友を作りなさい、と語り、最後は、13節で 「あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」 と結論づけるのです。 ここまで聞いていたパリサイ人たちの反応が14節にあります。 さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。 ここで単にパリサイ人、と言わないで、「金の好きなパリサイ人たち」と書かれています。 「不正の富」「この世の富」について語ったすぐあとで、わざわざ聖書は「金の好きなパリサイ人たち」と記すのです。 この「金の好きな」という言葉は、訳の違う聖書でいろいろな言葉で表現されています。 口語訳、現代訳は「欲

木村勉(ジョイチャペル牧師)
10月11日読了時間: 7分
小さな事にも忠実であれ
2026.10.11 ルカ16章1~13節 前回まで見てきた、ルカ15章では、イエスさまの3つのたとえ話が語られました。イエスさまの話は、聞く者にとって、常に、とてもわかりやすい内容ばかりで、理解し、納得して受け入れられるものでした。 ところが、今日の箇所は、必ずしもそうと言えない内容なのです。話の筋自体は、難しくはないのですが、イエスさまがなぜこんな話をされたのか、しかも不正なことをした管理人の、抜け目のなさを主人がほめるという話。なぜ、そのような話をされたのか、とまどいを覚えます。 不正なことをする人間を戒めるならまだしも、イエスさまがそれをほめるということは、どういうことなのだろうかと、だれもが思うのではないでしょうか。 ですから、この箇所は難しい、難解な箇所といわれ、何回読んでも、よく理解できない所だ、と思われているのです。 イエスさまがこの不正な管理人の話をされたのは、放蕩息子の話をされたすぐあとでした。15章での3つのたとえ話は、取税人、罪人、またパリサイ人、律法学者たちに対して語られま

木村勉(ジョイチャペル牧師)
10月11日読了時間: 6分
全部お前のものだ
<もう一人の放蕩息子> 2026,10,4 ルカの福音書15章25-32節 先週はイエスさまの「放蕩息子のたとえ」についてみました。一般的には、その弟息子のことを「放蕩息子」と呼ぶわけですが、今日はもう一人の放蕩息子と言ってもよい、兄息子に焦点を当てて見ていきます。 ルカ15章25-27節 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、おとうさんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 「兄息子は畑にいたが」とあります。彼は毎日畑に出て真面目に働いていました。お父さんに従順に従って、一生懸命働いていました。彼を一言で言い表すなら「真面目人間」でしょう。几帳面で、働き者。という姿が浮かんできます。 弟息子とは正反対の性格で、自分を主張することもない生き方をしてきたのでしょう。周りの評価も「働き者の孝行息子だ」とだれからも、ほめられていました。この兄

木村勉(ジョイチャペル牧師)
10月4日読了時間: 6分
死んでいたのが生き返り
2026,9.27 ルカの福音書15章11-24節 ルカの福音書15章は、イエスさまが語られた3つのたとえ話からなっています。これまで、最初の「迷子の羊」を、先週は2番目の「なくした銀貨」をみてきました。 今日は3番目の、イエスさまが語られたたとえ話の中で、最もよく知られている「放蕩息子のたとえ」を見ていきたいと思います。 ここでは、ひとりの罪人が悔い改めるとは、どういうことなのか。そして、その悔改めにどんなことが伴うのかということを中心に見ていきたいと思います。 11-12節から 「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 このたとえには、普通あり得ないことが語られています。それは、弟が、父の生前に財産の分け前、遺産の相続を要求しているということです。この父は寛大なので、身代をふたりに分けてやります。 通常、長男の受け継ぐ財産は弟の二倍を受け取ることになっているので、兄が2/3、弟が1/3を全財産のうちから受け取ることになるのです。 13

木村勉(ジョイチャペル牧師)
9月27日読了時間: 6分
喜びがわき起こる
2026,9.20 ルカの福音書15章8-10節 このルカの福音書15章は、イエスさまが語られた3つのたとえ話からなっています。先週は最初の「迷子の羊」を見ました。今日は2番目の「なくした銀貨」を見ていきたいと思います。 このたとえ話はたった3節しかありません。内容も簡潔です。 しかし、簡潔な話の中に大切な神の御心が示されていることを覚え、ここから、神さまの私たちに対するメッセージに耳を傾けたいと思います。8節から また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。 女性が、失くした銀貨を捜すたとえです。この銀貨は、ドラクマという単位の貨幣で、一日の労働賃金のデナリより、やや高い単位です。ですから、この女性は、一日分の生活費がなくなってしまったというので、念入りに捜したということなのです。 しかし、この銀貨1枚の価値は、1日の労賃なのですが、ここでの銀貨は10枚がつなぎ合わされて、頭にかぶる冠のようなものだったらしいのです。これは結婚指輪と同

木村勉(ジョイチャペル牧師)
9月20日読了時間: 7分
天に喜びがわき起こる
2026,9.13 ルカの福音書15章1-7節 カレンダーでは21日、来週の月曜日が敬老の日になっていますが、なんと9月は19(土)~23(水・秋分の日)まで5連休。お出かけして、留守の方も多いだろうと思いますし、地域や、ご家庭で敬老の日のお祝いをなさる方もいらっしゃるだろうと考えて、教会では1週早く、今日、敬老感謝会を行うことにいたしました。 午後からご一緒に、お食事をしながら、しばし楽しい時をお過ごしいただきたいと思いますが、まずは、教会ですので、神さまからの祝福の言葉に耳を傾けて頂きたいと思います。 先ほど読んで頂いた聖書箇所は、新約聖書のルカの福音書15章の1~7節まででした。 まず初めの1-2をみてみましょう。 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」 ここに4種類の人たちが出てきます。二人ずつ対になっています。取税人、罪人たちとパリサイ人、律法学者たち。 当時

木村勉(ジョイチャペル牧師)
9月13日読了時間: 7分
キリストに結び合わされて
2026.9.6 コロサイ人への手紙2章16~23節 ジョイチャペルが指針としている聖書箇所が、教会ホームページの「ジョイチャペルの紹介」と言う項目の最後に3つ掲げてあります。そのうちの一つが1テサロニケ5:16-18 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。 です。 私の感謝はたくさんありますが、そのうちの1つは、娘の家族が毎週、浦和から教会に通って来ているということです。 先週の午後、ほっとしているところに「じーじ、あそぼ」と5歳の孫に声をかけられて、おもちゃが置いてある子どもの部屋へ連れていかれました。そこで、車でしばらく遊んだのですが、子どもは乗り物が好きですね。車や電車、飛行機など。 いろいろとを思いめぐらしていたら、タダで乗せてくれて、素晴らしい所に運んでくれる乗り物があることを思い出しました。子どものころ日曜学校でよく歌った「福音の汽車」。 私の母は20年前の3月3日に召され、この教会で最初の葬儀を行いました。その母は召される7年前の80歳の時に高木先生から「お母さ

木村勉(ジョイチャペル牧師)
9月6日読了時間: 6分
自分の十字架を負って
2026,8,30 ルカの福音書14章25-33節 今日の聖書箇所に出てくるイエスさまの言葉は、私たちに非常な戸惑いを与えます。26節 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。」 「憎まない者は」とあります。 イエスさまに最も大切な戒めは何ですか? と質問した人に対して、イエスさまはマルコ12:30-31でこう答えられました 『 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにはありません。」 端的に言ったら「神を愛し、隣人を愛する」ということ! イエスさまが「憎め」と言った、両親、妻子、兄弟姉妹は最も身近な隣人であるはずです。 「イエスさま! 矛盾したことおっしゃらないでください」と言いたくなるような内容です。 「憎む」を別の言葉で訳している聖書訳があるのでは、と思って調べてみました。...

木村勉(ジョイチャペル牧師)
8月30日読了時間: 6分
罪の債務証書を無効にしてくださる
2026.8.23 コロサイ人への手紙2章8~15節 コロサイ人への手紙は、パウロがローマの獄中からコロサイ教会に宛てた手紙であって、教会の中に入り込んで来た異端の教えに惑わされないように、という注意を促し、キリストこそが真の神であるとの確信を持たせるための内容となっています。 8節から見て行きましょう。 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。 パウロは「注意しなさい。」と語ります。「あのだましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬように」と。「とりこになる」とは「誘拐される」という意味があります。本来いるべきところから別の場所に連れて行かれないように、というのです。 そういった意味で、最近感じるのは、日本の伝統行事、地域に伝わる宗教行事などです。日本では、先日までお盆の季節でした。私も幼いころ、迎え火、送り火などを家の前で、割りばしのようなものに火をつけて行った記憶があります。

木村勉(ジョイチャペル牧師)
8月23日読了時間: 6分
盛大な宴会への招き
2026,8,16 ルカの福音書14章15-24節 11日午後8時10分、私たちの愛する中島寅雄兄が主のみもとに召されました。生前、何度かお伺いましたが、その際には、いつも天国に迎え入れられる恵みについてのお話をしていました。 みなさん! 死への備えは出来ていますか? 明日死んでも天国に行ける確信がありますか? キム・サンボク先生の著書に「信仰の確信をきずく『七つの土台』」という説教集があります。その一部を紹介します。 韓国ではお腹の中にいるときから教会に通っていますという人が沢山います。クリスチャンホームで育ち、日曜学校にも忠実で、学生会の会長もして、奉仕もしているという、キム・サンボク先生もそうでした。 奉仕も一生懸命、祈祷会、早天も、もちろん礼拝も休んだことがない。けれども救いの喜びがない、何か心が満たされない、という状態で過ごしていました。十分の一献金もさぼったことはありません。みんなからサンボク偉いねえ、と言われますが、救いの恵みをきちんと受けていなかったために、私は熱心に教会に通い続けたのに、信仰の確信がなかった! と本

木村勉(ジョイチャペル牧師)
8月16日読了時間: 7分
お返しを受けない幸い
2026,8,9 ルカの福音書14章12-14節 日本人の習慣でしょうか? 人としての常識でしょうか? 何かしてもらったとき、または、何かを頂いたときは、そのお返しをする、ということは当たり前になっていますね。 別に下心がなくても「善いこと」をすると、意識の深い所では、何か、お礼と言うか、見返りを期待してしまうのは、誰しもが持ってしまう思いなのではないでしょうか。 今日はたったの3節。「親しい人や金持ちを食事に招かないように。今度は彼らがあなたを招いてお返しをするから」とイエスさまは語り、そして13-14節、 祝宴を催すばあいには、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」 短い箇所なので、イエスさまが教えようとしていることは、とてもわかりやすい内容です。 「お返しを期待しないで、だから、お返しができない人に善いことをしなさい」ということ! 誤解してはいけないのは、お返しができない人たちに善行をした

木村勉(ジョイチャペル牧師)
8月9日読了時間: 7分
末席に着きなさい
2026,8,2 ルカの福音書14章7-11節 今日の箇所は、聖書の中で繰り返し語られている、聖書が主張する原則が語られています。 いつものことですが、イエスさまのたとえ話は非常にわかりやすい。そして、その話をした真意が最後に的確に語られているのです。それがルカの福音書14章11節 「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」 この原則を、イエスさまが、今、目の前に起こっていることを取り上げて、具体的に教えておられるのです。7節 イエスは、客として招かれた人たちが上座を選んでいる様子に気がついて、彼らにたとえを話された。 場所はまだパリサイ人の指導者の家です。イエスさまだけでなく、何人もの人が招かれていることがわかります。招かれていたのは、恐らくパリサイ人や律法学者でしょう。彼らは、自分たちは社会的な地位があり、律法を厳格に守って、道徳的にも尊敬されるべき者だ、と自負していた人たちです。 だから、自分こそが食事の席では、上座に着くのが当然と思っていたわけです。そこで、「招かれた人

木村勉(ジョイチャペル牧師)
8月2日読了時間: 6分
あなたの隣人を
2026,7,26 ルカの福音書14章1-6節 今日の聖書箇所は病の「いやし」を通して、神の愛、キリストの愛が示される内容です。まず、ルカの福音書14章1節から ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき、 みんながじっとイエスを見つめていた。 「ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき」? パリサイ人はイエスさまに反感を持ち、批判し、ついには殺そうとする計画までした律法学者と同じ立場の宗教指導者です。 イエスさまの方も、ルカ11章でパリサイ人、律法学者に対して「わざわいだ」と6回も繰り返し、マタイ23章では「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人」を7回も繰り返して非難するのです。まさにイエスさまとパリサイ人とは敵対関係―相容れない関係―にあったのです。 けれどもイエスさまは、そういう関係中でパリサイ人の家で食事の席についたのです。 ルカ7:36からの箇所に、パリサイ人が一緒に食事を

木村勉(ジョイチャペル牧師)
7月26日読了時間: 6分
神の祝福を受けよ
2026,7,19 へブル人への手紙7章1-10節 今日の聖書箇所に出てくるメルキゼデクという人物ほど、謎に満ちた存在はいないのではないでしょうか。 彼は創世記14章で突然現れるのです。この箇所から彼について見て行きましょう。 アブラハムが神さまの導きによって、カルデヤのウルを出て、約束の地、乳と蜜の流れると言われるカナンの地に入ってきました。甥のロトも一緒に。 ところが、アブラハムの財産も、ロトの財産もあまりに多くなりすぎて、一緒に動くのは難しくなり、彼らは別れることになりました。まず、ロトにいいと思う方を選ばせ、アブラハムは彼と反対の方に行くことにしたのです。そして、ロトは死海の近くのソドムを選び、そこに住むことになったのです。 ところが、ある時ソドムに対して、周りの国々が連合して攻めてきて、ソドムの全財産と食糧全部を奪っていきました。ロトとその家族、全財産も! その知らせを聞いたアブラハムは「甥のロトを助けねば」と仲間としもべたちと一緒に、敵を追跡し、なんと、奪われたもの、ロトとその家族、全財産を取り返したの

木村勉(ジョイチャペル牧師)
7月19日読了時間: 7分
十字架による和解の福音
2026、7、12 コロサイ人への手紙1章18-23節 今日の箇所では、イエスさまによって与えられる、イエスさまが下さる平和について記されています。今日は、聖書が語る平和について考えていきたいと思います。 まずは1:20から その十字架の血によって平和をつくり、・・・ただ御子によって和解させてくださったのです。 「和解させてくださった」とあるからには、それ以前は反目、敵対関係にあったと言うことです。 日本は80年以上平和な時代が続いています。確かに私たちは平和の中に過ごしていますが、本当に今は平和な時代なのでしょうか? 少し深く考えてみると、人間関係がいつも平和でしょうか? 親子関係、夫婦の関係、周りの人との関係、そういう人と人との関係が、常に平和とは言えない、そういう時代ではないでしょうか。 聖書の中では「平和」「平安」と言う言葉はとても大切な言葉です。 イスラエルでは、「シャローム」と言う言葉が、朝も昼も夜も、あいさつとして使われています。これは「平安があるように」と言う意味なのです。 そして、このシャロー

木村勉(ジョイチャペル牧師)
7月12日読了時間: 6分
安全で確かな錨
2026,7,5 へブル人への手紙6章13-20節 年齢を重ねた夫婦になると、「あれ取って」とか「あれどうなった?」で会話が成立するということがありますね。 前回の見た、へブル6:12には 信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。 とあります。「あの人たち」? どの人たち? この手紙を読んだ人たちには、いろいろな信仰の先輩たちが浮かんできたことでしょう。11章には「あの人たち」と言われる、信仰に生きた人たちが何人も挙げられています。 へブル書の著者は、あの人たちの代表としてアブラハムを取り上げます。イスラエル民族の父、また信仰の父と言われるアブラハム。 アブラハムは神の声に従って、まだ見ぬ地へと出て行きました。そして神はこう言われたのです。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」 アブラハムが75歳の時でした。 しかし、約束されたその子孫の初めに当たる子がなかなか与えられません。アブラハムは神さまに「あなたが子孫を下さらないので、私の家で生まれた使用人の子、エリエゼルが跡取りになるの

木村勉(ジョイチャペル牧師)
7月5日読了時間: 8分
熱心に仕え、愛を示す
2026.6.28 ヘブル人への手紙6章4~12節 小さな子どもは「これ何?」「どうして?」「なんで?」と無邪気に、と言うか、単純に知らないことを知ろうと思って、聞いてきます、質問をしてきますね。 私たちも神さまに関して、聖書に関して、そのような好奇心とか、探究心とかをもって、信仰生活を送っていくということは、とても大切なことであり、失っていけない態度だと思います。 反対に危ういことは、そういった福音が当たり前になってしまって、驚きも、発見の喜びも、神への好奇心も、探究心もなくなってしまって、感謝も感動も喜びもなくなってしまうことです。 へブル書の今日の箇所のすぐ前の所には、初歩の歩みを抜け出して、成熟を目指そうとあります。そして、その後でとても厳しい言葉で、警告を与えるのです。 それは、もしも私たちが成熟を目指さず、耳が鈍くなり、堅い大人の食物を嫌い、初歩の段階にとどまってしまうと、次に待っているものが何であるかを知らせて、目覚めさせようとするのです。へブル6:4~5には 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6月28日読了時間: 6分
翼の下にかばうように
2026,6,21 ルカの福音書13章31-35節 今日は父の日!みなさんのお父さんはどんなお父さんでしょうか? どんなお父さんだったでしょうか?この日くらいは(?)お父さんのことを深く思う時としたいと思います。 今日はルカの福音書13章34節を中心にお語りしたいと思います。 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。 「ああエルサレム、エルサレム」とイエスさまは嘆いておられるのです。この先のエルサレムの現実。さらに、ご自分がエルサレムでどんなに苦しまなければならないのかが見えているからです。 イエスさまの目には、紀元70年に現実のものとなる、ローマ軍によるエルサレムの破壊、それに続くイスラエルの虐殺事件が見えているのです。 イエスさまの3年半に渡る伝道の生涯は、すべて、めんどりがひなを翼の下に集めようとされる愛だったのです。 ひなにとって、最も慕わ

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6月21日読了時間: 6分
あとの者が先になり、先の者があとになる
2026,6,14 ルカの福音書13章25-30節 先週は素晴らしい「開所20周年の感謝」の時を持つことができました。今日から、21年目に入ります。 改めて、この教会はどんな教会としてスタートしたのかを確認したいと思います。 ジョイチャペルは「礼拝を最も大切にし、聖書信仰に立つ、新しい皮袋の教会」です。 しかし、主の宣教命令を頂いている「宣教教会」でもある、ということも忘れずに21年目を歩み出したいと思います。 今日の聖書箇所を見ていきましょう。ルカ13章30節に いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。 とあります。この最後の言葉はどういう意味なのでしょう? イエスさまはいったい、何を言いたかったのでしょう? 今日読んだ、ルカ13:25~29までには何が書いてあるのかを見ていきましょう。 家の主人が戸を閉めてからどんなに願っても、戸をたたいても開けてもらえない。外の者が、今まで親しくしていたでしょうと言っても、家の中の主人は、「あなた方のことなど知らない」と言い放つのです。

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6月14日読了時間: 6分
bottom of page