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ジョイチャペル JOY CHAPEL
あなたの隣人を
2026,7,26 ルカの福音書14章1-6節 今日の聖書箇所は病の「いやし」を通して、神の愛、キリストの愛が示される内容です。まず、ルカの福音書14章1節から ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき、 みんながじっとイエスを見つめていた。 「ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家に入られたとき」? パリサイ人はイエスさまに反感を持ち、批判し、ついには殺そうとする計画までした律法学者と同じ立場の宗教指導者です。 イエスさまの方も、ルカ11章でパリサイ人、律法学者に対して「わざわいだ」と6回も繰り返し、マタイ23章では「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人」を7回も繰り返して非難するのです。まさにイエスさまとパリサイ人とは敵対関係―相容れない関係―にあったのです。 けれどもイエスさまは、そういう関係中でパリサイ人の家で食事の席についたのです。 ルカ7:36からの箇所に、パリサイ人が一緒に食事を

木村勉(ジョイチャペル牧師)
5 日前読了時間: 6分
神の祝福を受けよ
2026,7,19 へブル人への手紙7章1-10節 今日の聖書箇所に出てくるメルキゼデクという人物ほど、謎に満ちた存在はいないのではないでしょうか。 彼は創世記14章で突然現れるのです。この箇所から彼について見て行きましょう。 アブラハムが神さまの導きによって、カルデヤのウルを出て、約束の地、乳と蜜の流れると言われるカナンの地に入ってきました。甥のロトも一緒に。 ところが、アブラハムの財産も、ロトの財産もあまりに多くなりすぎて、一緒に動くのは難しくなり、彼らは別れることになりました。まず、ロトにいいと思う方を選ばせ、アブラハムは彼と反対の方に行くことにしたのです。そして、ロトは死海の近くのソドムを選び、そこに住むことになったのです。 ところが、ある時ソドムに対して、周りの国々が連合して攻めてきて、ソドムの全財産と食糧全部を奪っていきました。ロトとその家族、全財産も! その知らせを聞いたアブラハムは「甥のロトを助けねば」と仲間としもべたちと一緒に、敵を追跡し、なんと、奪われたもの、ロトとその家族、全財産を取り返したの

木村勉(ジョイチャペル牧師)
7月19日読了時間: 7分
十字架による和解の福音
2026、7、12 コロサイ人への手紙1章18-23節 今日の箇所では、イエスさまによって与えられる、イエスさまが下さる平和について記されています。今日は、聖書が語る平和について考えていきたいと思います。 まずは1:20から その十字架の血によって平和をつくり、・・・ただ御子によって和解させてくださったのです。 「和解させてくださった」とあるからには、それ以前は反目、敵対関係にあったと言うことです。 日本は80年以上平和な時代が続いています。確かに私たちは平和の中に過ごしていますが、本当に今は平和な時代なのでしょうか? 少し深く考えてみると、人間関係がいつも平和でしょうか? 親子関係、夫婦の関係、周りの人との関係、そういう人と人との関係が、常に平和とは言えない、そういう時代ではないでしょうか。 聖書の中では「平和」「平安」と言う言葉はとても大切な言葉です。 イスラエルでは、「シャローム」と言う言葉が、朝も昼も夜も、あいさつとして使われています。これは「平安があるように」と言う意味なのです。 そして、このシャロー

木村勉(ジョイチャペル牧師)
7月12日読了時間: 6分
安全で確かな錨
2026,7,5 へブル人への手紙6章13-20節 年齢を重ねた夫婦になると、「あれ取って」とか「あれどうなった?」で会話が成立するということがありますね。 前回の見た、へブル6:12には 信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。 とあります。「あの人たち」? どの人たち? この手紙を読んだ人たちには、いろいろな信仰の先輩たちが浮かんできたことでしょう。11章には「あの人たち」と言われる、信仰に生きた人たちが何人も挙げられています。 へブル書の著者は、あの人たちの代表としてアブラハムを取り上げます。イスラエル民族の父、また信仰の父と言われるアブラハム。 アブラハムは神の声に従って、まだ見ぬ地へと出て行きました。そして神はこう言われたのです。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」 アブラハムが75歳の時でした。 しかし、約束されたその子孫の初めに当たる子がなかなか与えられません。アブラハムは神さまに「あなたが子孫を下さらないので、私の家で生まれた使用人の子、エリエゼルが跡取りになるの

木村勉(ジョイチャペル牧師)
7月5日読了時間: 8分
熱心に仕え、愛を示す
2026.6.28 ヘブル人への手紙6章4~12節 小さな子どもは「これ何?」「どうして?」「なんで?」と無邪気に、と言うか、単純に知らないことを知ろうと思って、聞いてきます、質問をしてきますね。 私たちも神さまに関して、聖書に関して、そのような好奇心とか、探究心とかをもって、信仰生活を送っていくということは、とても大切なことであり、失っていけない態度だと思います。 反対に危ういことは、そういった福音が当たり前になってしまって、驚きも、発見の喜びも、神への好奇心も、探究心もなくなってしまって、感謝も感動も喜びもなくなってしまうことです。 へブル書の今日の箇所のすぐ前の所には、初歩の歩みを抜け出して、成熟を目指そうとあります。そして、その後でとても厳しい言葉で、警告を与えるのです。 それは、もしも私たちが成熟を目指さず、耳が鈍くなり、堅い大人の食物を嫌い、初歩の段階にとどまってしまうと、次に待っているものが何であるかを知らせて、目覚めさせようとするのです。へブル6:4~5には 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6月28日読了時間: 6分
翼の下にかばうように
2026,6,21 ルカの福音書13章31-35節 今日は父の日!みなさんのお父さんはどんなお父さんでしょうか? どんなお父さんだったでしょうか?この日くらいは(?)お父さんのことを深く思う時としたいと思います。 今日はルカの福音書13章34節を中心にお語りしたいと思います。 ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。 「ああエルサレム、エルサレム」とイエスさまは嘆いておられるのです。この先のエルサレムの現実。さらに、ご自分がエルサレムでどんなに苦しまなければならないのかが見えているからです。 イエスさまの目には、紀元70年に現実のものとなる、ローマ軍によるエルサレムの破壊、それに続くイスラエルの虐殺事件が見えているのです。 イエスさまの3年半に渡る伝道の生涯は、すべて、めんどりがひなを翼の下に集めようとされる愛だったのです。 ひなにとって、最も慕わ

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6月21日読了時間: 6分
あとの者が先になり、先の者があとになる
2026,6,14 ルカの福音書13章25-30節 先週は素晴らしい「開所20周年の感謝」の時を持つことができました。今日から、21年目に入ります。 改めて、この教会はどんな教会としてスタートしたのかを確認したいと思います。 ジョイチャペルは「礼拝を最も大切にし、聖書信仰に立つ、新しい皮袋の教会」です。 しかし、主の宣教命令を頂いている「宣教教会」でもある、ということも忘れずに21年目を歩み出したいと思います。 今日の聖書箇所を見ていきましょう。ルカ13章30節に いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。 とあります。この最後の言葉はどういう意味なのでしょう? イエスさまはいったい、何を言いたかったのでしょう? 今日読んだ、ルカ13:25~29までには何が書いてあるのかを見ていきましょう。 家の主人が戸を閉めてからどんなに願っても、戸をたたいても開けてもらえない。外の者が、今まで親しくしていたでしょうと言っても、家の中の主人は、「あなた方のことなど知らない」と言い放つのです。

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6月14日読了時間: 6分
信じる者に与えられる『神の義』
2026.6.7 20周年感謝礼拝 ローマ人への手紙3章21-26節 今日ここに、ジョイチャペル開所20周年感謝礼拝を迎えることができ、心から感謝します。 20年前、この地、この場所で正式にジョイチャペルが教会としてスタートしました。 その前4年間はわが家で、家の教会としてのジョイチャペルがはじめられていました。 早く会堂をと願って、いろいろと物件をみんなで探しましたが、なかなかふさわしい所が見つかりませんでした。 そのような時期に、特に探していたというわけでもなく、自転車に乗ってこの通りを通っていた妻が、不思議なように、この建物に壁に掲げられていた 「住居付き貸店舗」の看板 に目をとめたのです。それが2006年3月後半のことでした。 そこから話を進めて行き、会堂として借りることになりました。とにかく何もない所からのスタートでしたので、まずは、内装をそれなりにリフォームしていただき、教会として必要なものを一から用意をしていきました。パイプいす、講壇、ピアノ、電動イス、スリッパ、下駄箱等々、2階には、愛

木村勉(ジョイチャペル牧師)
6月7日読了時間: 6分
好意を持たれていた
2026,5,31 使徒の働き2章40~47節 先週はペンテコステ礼拝で、使徒の働き2章の14~21節を学びました。使徒たちに聖霊が注がれ、ペテロが群衆に向かって語り出した初めの部分でした。 今日は、そのペテロの大説教が終わったところからの内容です。まず40節、 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、 「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。 「曲がった時代から救われなさい」と締めくくるのです。 「曲がった時代」とは何を意味しているのでしょう。新共同訳の聖書には「邪悪なこの時代」とあります。 また「救われなさい」は欄外には別訳「のがれなさい」とあります。イエス・キリストを拒み、十字架にかけたこの世! そんな邪悪な所にとどまっていないで、神の側に逃げてきなさい、と語ったのです。 そして、なんとペテロのこの説教によって3000人がバプテスマを受け、弟子に加えられたのです。 42-47節には、初代教会の姿が記されています。42節から見ていきましょう。 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守

木村勉(ジョイチャペル牧師)
5月31日読了時間: 7分
わたしの霊をすべての人に
2026.5.24ペンテコステ 使徒の働き2章14-21節 キリスト教会には、3つの大きなお祝いの日があります。 第一はクリスマス、第二はイースター、そして第三が今日のペンテコステです。聖霊降臨日、また教会の誕生日でもあるのがこのペンテコステなのです。 歴史的には、聖書の「使徒の働き」2章にその時の様子が詳しく書かれています。 そこには、その日に舌のような、炎のようなものが分かれて、弟子たち一人一人の上に下って、聖霊に満たされて、いろいろな他国の言葉で語り出したとあります。もう本当に驚くべき奇跡が起こったのです。 それを見ていた多くの人が驚き惑い、またあざけって、酒に酔っているんじゃないか、と言う人も出てくるのです。その時、そうではないのです! とペテロが立ち上がって、声を張り上げて語り出した、と言うのが今日の聖書箇所の内容です。使徒の働き2章16-17節 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を

木村勉(ジョイチャペル牧師)
5月24日読了時間: 6分
努力して狭い門から
2026,5,17 ルカの福音書13章22-24節 今日見ていく聖書の箇所は、一般的にもよく使われている「狭き門」と言う言葉をイエスさまが語られたところです。まずは、ルカ13章22節から見ていきましょう。 イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。 特別なことが書かれているように感じませんが、注目すべきは「エルサレムへの旅を続けられた」とある部分です。別に旅行を楽しんでいたわけではないのです。 エルサレムへの旅の目的は、私たち罪人を救うために、十字架にかかって死ぬため。また、ご自分が神の子、救い主であることを示すために復活するためなのです。 その旅の途中で、ある人がイエスさまに質問をします。23節 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」という人があった。 この人は、いつもイエスさまの周りにいて、イエスさまのお話をよく聞いていた人だったのでしょう。そして、よく聞いていたからこそ、「救われる者は少ないのですか」と質問したのだと思います。 その質問に対してイエスさまは直接

木村勉(ジョイチャペル牧師)
5月17日読了時間: 7分
小さなこと、小さな働きこそ
2026.5.10 ルカの福音書13章18-21節 今日は「母の日」お母さんに心からの感謝を伝えたい! 「お母さん、いつもありがとう!」なにしろ、お母さんがいなかったら生まれてなかったわけですから。 すでに地上にはいらっしゃらないお母さんもおられるでしょうが、お母さんを与えてくださった神様に心からの感謝をおささげいたしましょう。 18-19節 そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。 それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」 からし種についてマタイ13:32で「どんな種よりも小さい」とあります。 私たちは、本当に小さい者、弱い者、力のない者、かも知れませんが、神様は「あえて」そういう者たちを選ばれたのです。 それは、決して自らを頼りにしないで、ただ主にのみ頼り、神様に栄光を帰すようにという、神さまのご計画なのです。 ...

木村勉(ジョイチャペル牧師)
5月10日読了時間: 7分
わたしについて来なさい
2026.5.3 マルコの福音書1章14~20節 イエスさまは、ヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けられて、その後、御霊によって荒野に導かれ、40日間サタンの誘惑を受けられました。 マルコ福音書にはありませんが、マタイ福音書ではサタンの誘惑を、み言葉によって退け、サタンはイエスさまから離れていった、とあります。 今日の聖書箇所は、その後、イエスさまの伝道活動のはじまりが記されています。14節 ヨハネが捕らえられて後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われた。 「ヨハネが捕えられて後、・・・」 ルカ3:18~20には、ヨハネが国主ヘロデの不品行を責めたがゆえに牢に入れられてしまう、とあります。 ヨハネは力強く、大胆に、人々の罪を指摘し、悔い改めを迫りましたが、それは、国主ヘロデも例外ではなかったのです。 しかし、ヘロデの不興を買い、捕えられ、やがてヨハネは首をはねられ、彼の大胆にして、力強い宣教は終わってしまいました。 ところが、ヨハネの宣教の叫びをイエスさまが引き継ぐことになるのです。 マタイ3

木村勉(ジョイチャペル牧師)
5月3日読了時間: 6分
成熟をめざして
2026.4.26 へブル人への手紙5章11-14節 新年度になってひと月になろうとしています。新入学のピカピカの1年生もやっと学校に慣れてきた頃でしょうか。親の心配をよそに元気に登校する子。反対にいつまでも親から離れられない子。親はどんな子であっても、子の成長を願うものでしょう。 同じように、神様も、神の子どもたちの成長を願っておられるのです。 今日の聖書箇所は、神の子どもとして、どういう歩みをしたら成長していけるのかを考えさせられる内容です。 へブル人への手紙5章11節から見ていきましょう。 この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。 「この方」キリストについてたくさんのことを話したいが、「あなたがたの耳が鈍くなっている」霊の耳がよく聞こえなくなっているので、難しいというのです。「鈍くなっている」の元々の意味は、「怠けている」なので、聞こうとしていないのです。 熱心にキリストの姿に変えられることを願っていない。主の御心にかなった歩み

木村勉(ジョイチャペル牧師)
4月26日読了時間: 6分
常識を超える神のあわれみ
2026.4.19 ルカの福音書13章10-17節 今日の聖書箇所はイエスさまが、安息日に18年間も病の中にいた女性をいやされた、というのがまず記されています。10~13節 イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。 すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。 イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました。」と言って、 手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。 イエスさまが安息日になされた奇跡の一つです。 病の霊につかれて 腰が曲がっていた、とあります。18年も腰が曲がっていました。この女性にとって、これは辛い毎日であり、悲惨な状態での生活だったことでしょう。イエスさまは、この女性を(あわれみの目で)「見て、呼び寄せ」、病をおいやしになりました。 16 節で、「十八年もの間 サタンが縛っていた 」とイエスさまは言われました。ですから、これは単に病による苦しみ以上の、霊的な抑圧であることが分かります。 神が、エバを惑わしたサタンである蛇に対し

木村勉(ジョイチャペル牧師)
4月19日読了時間: 7分
もう一年、もう一年の愛の神
2026.4.12 ルカの福音書13章6-9節 イエスさまは、よくたとえを用いてお語りになりました。 みなさんは、イエスさまのどんなたとえ話が思い浮かびますか? ルカ15章には、「100匹のうちの迷子の1匹」「10枚の銀貨のうちのなくした1枚」「放蕩息子」と3つのたとえ話が続きます。 ほとんどのたとえ話は、イエスさまがその直前に教えられた大切なことを受けて、それを当時の人たちや弟子たちの理解を助け、「そういう事なのか」と受け止められるために語られたのです。たとえば、ルカ15章では、イエスさまが罪人たちと一緒に食事をしていることへの批判に対して語ったものでした。ルカ10章の「良きサマリヤ人たとえ」の時は、律法学者が「私の隣人とはだれのことですか」に対して、また18章の「パリサイ人と取税人の祈りのたとえ」は自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して語られたわけです。 今日のたとえの直前は「悔改めねば、滅びる」との宣言の後に語られたものでした。 「最後の執り成し 」「実を結ばない者さえあきらめない主」と題しても良い内容の

木村勉(ジョイチャペル牧師)
4月12日読了時間: 6分
動かされていた石
2026.4.5イースター マルコの福音書16章1~8節 イースターおめでとうございます。声を大にして「主イエスは死からよみがえりました」と世界中に叫びたい、そう思います。まさに、歴史が変わる大きな、大きな出来事、 それがイースターです。 世界の歴史が変わるほどの大事件なのですが、この出来事を、ただ単にキリスト教のお祭り、あるいは、2000年前にそういうことが起こったという、言い伝えだと言って終わってしまったら、何の意味もありません。 私たちにとってのイースターはどういう意味があるのかを、しっかりと受け止めなければなりません。 死者がよみがえる。ありえないことでしょう。でも、神にはそれができる! と信じることがキリスト信仰、聖書信仰なのです。 死んでいた者が生きる者へと変えられる。聖書は、私たちひとりひとりにイースター、復活祭が必要なのだと教えるのです。 どうことでしょう? エペソ人への手紙2章1節には、 「あなたがたは自分の罪過と罪の中に死んでいた者」 とあるのです。 同じエペソの2:4~6には 「しかし、あわれみ豊

木村勉(ジョイチャペル牧師)
4月5日読了時間: 7分
全地が暗くなった
2026.3.29 マタイの福音書27章45-54節 今週は、イエスさまが十字架にかけられて苦しみの後に死なれた、受難週を迎えました。 私たちは、このイエスさまの十字架と受難を心に留める一週間を過ごしたいと思います。 「ノー レイン、ノー レインボー」と言う言葉があります。雨降りは嫌だと思う時があるかもしれません。でも雨が降るからあの美しい虹が見られる、と言う意味です。 もう一つ、「ノークロス、ノークラウン」と言う言葉があります。キリストの栄光、キリストの復活、その前には苦しみがあります。受難があります。主の十字架があったから、復活があり、私たちにも復活の希望が与えられたのです! 教会のシンボルは十字架です。十字架は十字架そのものがメッセージであり、十字架は私たちに語ります。十字架が私たちに何を語っているか、この受難週はそれに耳を傾けて欲しいと思います。 イエスさまは十字架上で7つの言葉を語られました。これは7つですから7日間。今日から始めれば土曜日まですることができる、黙想の内容です。今週、十字架上でイエスさまが私

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月29日読了時間: 7分
お願いします
2026.3.22 ヘブル人への手紙5章1~10節 ヘブル人への手紙は、その名の通りへブル人=ユダヤ人に向けて書かれた手紙です。 ユダヤ人は、旧約聖書を、特にそこに書かれている律法を守ることが、神に喜ばれる、受け入れられる信仰の在り方だと考えていました! そういうユダヤ人に対して、旧約聖書全体が、実は真の救い主キリストを指し示しているのだ、と語るのです。 イエスキリストは、ユダヤ人の宗教的指導者であり、尊敬されている大祭司にまさる、偉大な大祭司である、とへブル書の記者は語るのです。 この大祭司であるキリストは、どのような祈りをされたのでしょうか? 7節 キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。 とあります。 イエスさまは人としてこの世で生活なさっていた時、よく祈っておられました。 ルカ5:16 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。 それは、父である神との交わりの

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月22日読了時間: 7分
コペルニクス的転回
2026,3,15 ルカの福音書13章1-5節 今、私たちは「会堂購入」という大きな働きのために、ひとり一人が祈り、神様に示されたものをおささげしています。 このことについて、私からみなさんに2つのお願いがあります。 一つ目は、「私は、ほかの人のように献金は出来ない。申し訳ない。」と、思わないで頂きたい!それぞれの方が置かれている状況はみんな違います。神様はご存じですから、「神は喜んで与える(ささげる)人を愛してくださいます」とⅡコリント9:7にありますから。 もう一つは、全員がささげて頂きたい、ということ! 今、言ったように、額ではなく、喜んでささげてください。誰一人「私はどうなるか、見ています」「私は、そういうつもりで教会に来ているわけではないので」などと言わないで、教会に来られている方で部外者は一人もいません。 神様が、こういう時に、この教会に来させてくださったのです。傍観者にならないで、神が導かれた、この大きな働きの中に加わってください。 そして、一緒に、神の御業の「目撃者」になって頂きたいのです! ...

木村勉(ジョイチャペル牧師)
3月15日読了時間: 8分
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