悪霊さえも従わせるお方
- 木村勉(ジョイチャペル牧師)
- 7月27日
- 読了時間: 7分
更新日:7月28日
2025,7,27 ルカの福音書11章14-23節
前回は「求める者に聖霊を下さる」とイエスさまが約束してくださった所を学びました。
けれども、今回は、聖い御霊ではなく、汚れた霊、悪霊が働いていることが描かれています。
多くの日本人は、科学的に証明できないものは、信じない、受け入れない、という考え方を持つような教育をされてきました。ですから、霊的なものには心を開かない、あるいは馬鹿にするようなことさえあります。 あるいは反対に、特に夏には怪談話や、心霊スポット、オカルトじみたことが話題にあがり、そちらに興味を惹かれてのめり込んでいく人たちもいるようです。
みなさんにぜひ知っておいていただきたいのは、霊的な世界は、聖書の啓示による以外は、正しく理解することはできない、と言うことです。興味本位で、オカルトや超常現象などというものに、のめり込んでいくと知らないうちに、神の恵みの世界から、悪魔の支配下に置かれてしまうということがあるのです。
みなさん、悪魔は悪賢い=狡猾=「ずる賢く、悪賢い」者なのです。だますのです! 最大のだましは、「悪魔などいない」と思わせることです。悪魔が、「悪魔だぞー」と言って、わかる姿かたちで私たちに近づいてくるのではありません。その反対に、とっても魅力的な、惹かれるような姿、言葉をもって近づき、誘惑してくるのです。 Ⅱコリント11:14には「サタンさえ光の御使いに変装するのです」と指摘しています。
創世記3:1-6には、人間に罪が入ってきた時のことが書かれています。 蛇の姿をしたサタンが人類最初の女性エバを誘惑して、神の言葉を疑わせ、食べてはいけないと言われた「善悪を知る木の実」を「まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった」と言うふうに見せ、罪を犯させてしまうのです。
悪魔は「ずる賢く、悪賢い」者なので、人の欲望に働きかけて、罪を犯させるのです。
金銭欲のために、特殊詐欺に走ったり、強盗をしたりということもあり、また、性欲のために性犯罪や、ごく最近、教師グループが盗撮していたというニュースもありました。犯罪ではないにしても、政治家の不倫なんて話が何度も出てきています。
私たち人間は弱いのです!そして、サタンは、その弱い所に働きかけてくるのです。私たちは、どんなに頑張っても悪魔には勝てないのです。
そのことをよーく理解して、だから、サタンよりもはるかに力があり、どんな戦いであっても、勝ち得て余りある勝利をもたらしてくださる、真の神様にお頼りして、私たちはサタンに打ち勝っていくのです。ローマ人への手紙8:37には、こう宣言されています。
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
では、今日の聖書箇所を見ていきましょう。14節
イエスは悪霊、それも口をきけなくする悪霊を追い出しておられた。悪霊が出て行くと、口がきけなかった者がものを言い始めたので、群集は驚いた。
間違ってはいけないのは、口がきけない人がすべて悪霊によるものではない、ということ。病の場合もあれば、悪霊によるものもあるということをきちんと理解しておかなくてはなりません。
この出来事を見ていた人たちは、2種類の批判をしました。この、批判をした人たちは、マタイの福音書12章によると、パリサイ人であることがわかります。一つ目は15節
「悪霊どものかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」
という批判です。この批判は、普通に考えたら、ありえないことです。悪霊の仕事は、人間を苦しめ、つらい目にあわせて、ダメにしてしまう事。悪霊本来の仕事をやっているのに、それを、親分が止めさせるなんてことはありえないでしょう。ですから、イエスさまは、17-18節で
「どんな国でも、内輪もめしたら荒れすたれ、家にしても、内輪で争えばつぶれます。サタンも仲間割れしたのだったら、どうしてサタンの国が立ち行くことができましょう。それなのにあなたがたは、わたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出していると言います。」
このように、イエスさまはいつもわかりやすく、明確に語ってくださいます。
一つの国が、内輪もめをしていたら、国としてまとまった国家としては成り立たないでしょう。内戦状態が続く国は悲惨でしょう。そして、人々にとって最も身近な家、家庭においても、内輪もめをしていたら、温かい、安らぎの場とはならないでしょうし、やがて崩れ去ってしまうでしょう。
教会でも同じことが言えるでしょう。自分と意見が違う人がいると、それだけで、批判したり、一致ができないのであれば、まさに、教会は立ち行かなくなってしまうでしょう。
イエスさまがここで語られているのは、悪魔が自分の国を分裂させるような、愚かなことはしない、と言っているのです。さらに19節で
もしもわたしが、ベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの仲間は、だれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの仲間が、あなたがたをさばく人となるのです。
と語られています。ここから、当時、悪霊の追い出しをしている宗教指導者がいたことがわかります。 そして、イエスさまは、じゃあ彼らも悪霊のかしらによって、悪霊の追い出しをしていることになるではないか、と批判しているわけです。
イエスさまの悪霊の追い出しを見ていたパリサイ人の、もう一つの批判は、16節
また、イエスをためそうとして、彼に天からのしるしを求める者もいた。
群衆は、これは確かに神の御業としか考えられない、という思いで驚いています。しかし、何かにつけてイエスさまのすることを非難、批判したりするパリサイ人は、ここでも、本当に神の子なら、天からのしるし、奇跡を起こしてみろ!と迫るのです。それに対してイエスさまは20節でこう言うのです。
しかし、わたしが、神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。
ここでイエスさまは、はっきりと「私が神の力によって悪霊を追い出している」とおっしゃっているのです。「神がその権威をもって」と言ってもいい内容です。それこそが奇跡なのだと。
さらにこう続けます、21-22節
強い人が十分に武装して自分の家を守っているときには、その持ち物は安全です。しかし、もっと強い者が襲って来て彼に打ち勝つと、彼の頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分け合います。
21節の強い人はサタンのことです。 22節のもっと強い者とは、イエスさまご自身のことです。サタンは確かに強い者であり、だれも、サタンに立ち向かうことはできません。 しかし、イエスさまはもっと、もっとはるかに力がおありです。私たちはサタンにとても太刀打ちできる存在ではないのですが、ヨハネの手紙第一5:5にこうあります。
世(悪魔)に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
最後にイエスさまは23節でこう語ります。
わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。
私たちは意識しているか否か関わらず、霊的戦いの中に置かれているのです! そして、神の側に立っていなければ、それは悪魔の側についているのだ、と言うのです。霊の世界において中立はありえないのです。 「私は神を信じていないけれども、別に悪魔の側に立っているわけではない」と多くの人は思うかもしれません。 しかし聖書は、はっきりとそれを否定しているのです。
イエスさまは、サタンが支配するこの罪の世から、私たち一人一人を救い出し、神の国の民として集めて下さいました。 ですから、キリストの側に移していただいた私たちは、主とともに、この集める働きに加えていただいているのです。
聖霊の力と導きの中で、この神の国を証しし、一人でも多くの人が神の国の民となるように、労させていただきましょう。