翼の下にかばうように
- 木村勉(ジョイチャペル牧師)

- 2 日前
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2026,6,21 ルカの福音書13章31-35節
今日は父の日!みなさんのお父さんはどんなお父さんでしょうか? どんなお父さんだったでしょうか?この日くらいは(?)お父さんのことを深く思う時としたいと思います。
今日はルカの福音書13章34節を中心にお語りしたいと思います。
ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
「ああエルサレム、エルサレム」とイエスさまは嘆いておられるのです。この先のエルサレムの現実。さらに、ご自分がエルサレムでどんなに苦しまなければならないのかが見えているからです。
イエスさまの目には、紀元70年に現実のものとなる、ローマ軍によるエルサレムの破壊、それに続くイスラエルの虐殺事件が見えているのです。
イエスさまの3年半に渡る伝道の生涯は、すべて、めんどりがひなを翼の下に集めようとされる愛だったのです。 ひなにとって、最も慕わしい安全な場所は、母鳥の翼の下。どんなに敵が襲ってきても、嵐に見舞われても、母鳥の翼の下に逃げ込めば、まさにそこは安全で温かい隠れ場、避け所なのです。
これから、梅雨が明けると、日差しの強い夏がやってきます。本当は夏だけではないのですが、気をつけねばならないのは、紫外線! 私たちの住んでいるこの地球は、奇跡の星と言われています。 太陽から放出される有害な紫外線から地球を守るために、オゾン層と呼ばれる保護膜が、何層にもわたって地球を覆っているのです。まさに、地球はオゾン層という、翼に覆われて守られているひなのような存在だと言えるのです。
創世記1章2節にこうあります。
「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。」
この「動いていた」をほかの訳で見ると「神の霊 水の面を覆いたりき」(文語訳)、「神様の霊がおおっていました」(リビングバイブル)、「神の御霊は、あたかも雌鳥がその翼を広げてひなをはぐくんでいるかのように、その上を覆っていた」(現代訳)となっており、すべて「覆っていた」となっています。
こう見ると、神様は地球を造られたときすでに、オゾン層を地球を覆うようにしてくださっていたのですね。まさにオゾン層は、神さまが私たち地球に与えてくださった「御翼の陰」なのです!
罪人である私たちが逃げ込むことができる御翼の陰、それはイエス・キリストです。 イエスさまは私たちをその御翼の陰に集めようとして、招いてくださっているのです。しかし「預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者」と直接的にはユダヤ人に呼び掛けています。
しかし、それはほかの誰でもない私たち、私のことなのです! 私の内にある罪の性質は、きっかけとタイミングがそろえば、とんでもない恐ろしいことを・・・冒す性質を持っているのです
私たちは意識的に、あるいは無意識のうちに神さまの御前にどれほど多くの罪を犯しているかわかりません。 「どうかこんな罪人を憐れんでください、赦してください」と私たちこそキリストという御翼の陰に逃げ込むべき罪人であり、罪人のシェルターに逃げ込むべき者なのです!
そのようにして、私たちは、招かれている御翼の陰に逃げ込むことが大切なのです。
「それなのに、あなたがたはそれを好まなかった」 「逃げ込んだり、駆け込んだり、そんな卑怯なことはしたくない、そんなに弱くはない。私はそんな避け所なんていらない。」と言って多くの人は「それを好まなかった」と言われる人たちなのです。
しかし、人間はそんなに強くはありません! 反対に弱い存在なのです! 私はそんな隠れ場、逃げ場所など必要ありませんと、弱くはないと言いながら、実際は、どうにも悪い習慣から離れることができない、様々な罪の誘惑に負けてばかり、死への恐怖にさいなまれているのではないでしょうか。
イエス・キリストのもとに私たちが逃げていく時、そこに、私たちは「御翼の陰」という安らぎの場所を見出すことができるのです。
イエス・キリストという「御翼の陰」が私たちに安らぎを与える理由を考えてみましょう。第一に、そこに私たちは匿(かくま)われるからです。 詩篇17:8
私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。
匿われる。 匿われたことありますか? あまり、匿われるという経験はないかもしれません。
コロサイ3:3には
あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
とあります。 今日、みなさんが誰かに「あなたの命はどこにありますか?」と聞かれたら、何と答えますか?
聖書は、あなたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されてある、と言うのです!
赤ちゃんがお母さんの胸の中にしっかりと抱かれて守られているように、私たちのいのちは、それ以上に神さまのうちに隠されている、神さまによって守られているのです!
第二番目に、私たちは御翼の陰に守られるから! 詩篇91篇は御翼の陰に逃げ込むことが、いかに安らかであるかを歌っています、 詩篇91:1-4
いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。
主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。
主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。
主の真実は、大楯であり、とりでである。
親鳥の翼の外側は、太い骨格と頑丈な羽で覆われていて、また、防水作用があり、とても丈夫にできています。それで外側から守り、雨風から逃げ込むひなを守ってくれます。ところが、内側はどうかというと、柔らかい羽毛で包まれていて、そこに逃げ込むひなを、素晴らしい快適さで、ふわふわの毛でくるんでくれるのです。
そのように、私たちもイエスさまのもとに逃げ込むとき、力と愛の翼が私たちを包んでくれるのです! その翼は、先ほどの詩篇91篇を見ると、「あなたはその翼の下に身を避ける、主の真実は大盾であり、とりでである」とその翼を「主の真実」と言い換えています。
神様の翼、それは別の表現では、「主の真実だ」と言うのです。神様の真実、イエスさまの真実こそ、私たちが逃げ込み、隠れることができる、その根拠となっているのです!
主の御翼の陰が安らぎを与える、もう一つの理由は、私たちはそこで元気づけられるから!
マラキ書4:2
しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。
「その翼にはいやしがある」 私たちは悩み、疲れ果てるときがあります。その時、主の翼の陰に逃げ込むのです。するとその翼にはいやしがあるというのです。
最近「いやされる~」なんて言葉をよく聞きます。それだけ人々はいやしを求めているのです。ペットにいやしを求める人も多いでしょう。 しかし、本当のいやしは、主の御翼の陰にこそあるのです。 そこでいやされ、養われ、そこでもう一度リフレッシュされ、元気づけられる、生きる力が与えられていくのです。
私たちがイエス・キリストを私の神、私の救い主と信じ、告白し、その信仰に生きる神の民、神の家族を私の民として歩み出す時、私たちもその御翼の陰に入る者とされるのです。
今日、私たちがみんな、素晴らしい「御翼の陰」に逃げ込み、そこにかくまわれ、そこで守られ、そこでいやされ、元気づけられながら、また新たに歩みだして行きましょう。