罪の債務証書を無効にしてくださる
- 木村勉(ジョイチャペル牧師)

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更新日:4 時間前
2026.8.23 コロサイ人への手紙2章8~15節
コロサイ人への手紙は、パウロがローマの獄中からコロサイ教会に宛てた手紙であって、教会の中に入り込んで来た異端の教えに惑わされないように、という注意を促し、キリストこそが真の神であるとの確信を持たせるための内容となっています。
8節から見て行きましょう。
あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。
パウロは「注意しなさい。」と語ります。「あのだましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬように」と。「とりこになる」とは「誘拐される」という意味があります。本来いるべきところから別の場所に連れて行かれないように、というのです。
そういった意味で、最近感じるのは、日本の伝統行事、地域に伝わる宗教行事などです。日本では、先日までお盆の季節でした。私も幼いころ、迎え火、送り火などを家の前で、割りばしのようなものに火をつけて行った記憶があります。
また、日本では、あるいは世界全体でもそうかもしれませんが、進化論が正しいものとして受け入れられています。人間は偶然の連続で、長い年月をかけて微生物から進化してきた、という学説。人間は目的もなく偶然生まれてきたのでしょうか?
聖書は、神が目的と計画をもって人間を造られたと語ります。
パウロは決して哲学を否定しているわけではありません。学問の分野にもキリスト教哲学と言うものもあります。しかし、哲学の中には、人の考えをすべてに勝ると考える立場、聖書や神さまの権威よりも、人間の理性を上に置き、神様を、聖書をあざ笑い、愚かとするものがあります。パウロは、それがどんなにもっともらしく見えても、思えても、それは、だましごとだ、というのです。
なぜなら、それは①「人の言い伝え」によるもので、人間の言葉、人間の意志から出たものであり、むなしいだましごとだ。②「この世に属する幼稚な教え」であり、③「キリストに基づくものでない」と言うのです。
間違った人間の教えが、教会にも異端として入ってきている。それはイエスキリストを
神と認めないという教え。それに対してパウロは、9節で
キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
神のご性質は、恵みに満ち、愛に満ち、力に満ち、知恵に満ち、また聖さに満ち、いつくしみに満ちておられる。それがそのまま、キリストのうちに満ち満ちておられると語るのです。 そして、10節では
そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。
イエスキリストを信じる者には、そのうちにキリストが住んでいてくださる! ということは、キリストが持っている神のご性質が私たちのうちにも満ち満ちている、ということなのです。この神のご性質が私たちのうちに満ち満ちている、ということを私たちはどれほど感謝しているでしょうか?
私たちは時として、私はだめな人間だ、私は弱い者、罪に勝てない、汚れている、失敗ばかりする・・・・と思うことがあります。自分を否定的に見てしまう。
しかし、御言葉は「神の性格に満ち満ちている!」と言うのです。私たちはこの事実に生きる者であり、それが信仰者の歩みなのです。
信仰の経験が、聖書を読むことが、捧げることが、愛が「足りない、足りない」ではないのです! だまされないように! 誘拐されないようにしましょう!
11節以降は、私たちは、キリストにあってどういう者にされているのかを、明確にしておくことが大切だと語ります。 11-12節
キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。
まず第一に「キリストの割礼を受けた者」です。旧約時代は神の民とされる契約のしるしとして割礼を受けましたが、新約の今の時代は、バプテスマを受けることによりキリストと共に死に、キリストと共によみがえらされた、古い自分、古い生き方に死に、新しい命に生きる者とされた、神の民となったことを表しました。
コロサイ教会に入って来た、異端の教えは、神を信じる者は、割礼を受けなければならない、イスエラルの民は、神の民であるという印として、生まれてすぐ、男子だけですが、体の一部を切り取る割礼という儀式を受けました。私は、神に逆らう生き方をしないで、神に生きる者です、ということをこの儀式によって表したのです。
コロサイの中に入って来た偽教師は、信じるだけではダメなんです、神の民になるためには、割礼を受けなくてはいけません。と教えたのです。
パウロはここで、こんな教えは福音を台無しにするということを知っていたので「あなたがたは割礼を受ける必要はありません。なぜなら、イエスキリストを信じて、バプテスマを受けることによって、あなたがたは、あの割礼が現していたことを、もうすでにキリストにあって、ハッキリと自分のものにしたのです!」と教えるのです。
そして、13後半~14節
それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。
第二は「すべての罪が赦された者」です。 14節には「債務証書を無効にされた」とあります。「罪の債務証書」です!
30年前、私は父の借金の保証人になってしまいました。父は、無理に無理を重ねて借金をして、事業を続けた結果、当然の帰結として倒産しました。私は借金の保証人ですから、そのほとんどの債務は私が負うことになりました。金融業者は、私の給料を差し押さえ、生命保険、銀行預金もすべて。しかし、それでも負債額には全然不足でした。弁護士に相談した結果、現時点での退職金の50%を裁判所を通して支払えば法的に債務はなくなる、ということになりました。何とか工面をして弁護士を通して裁判所に納めましたが、なかなか受理通知が来ません。しばらくたってから弁護士がその金を自分の事業の穴埋めに使ってしまったっことが分かりました。愕然としました。その間、債権者からは支払いの催促が何度もあり、支払わざるを得ない状況で返済もし続けました。弁護士も頼れなくなったので、自分で直接裁判所に行き、事情を聴いてもらって、やっと「免責決定通知書」をいう書類を頂き、私の借用証書は無効になりました。
すべての手続きが終了するまで1年以上かかりました。辛い、苦しい経験でしたが、免責決定!とされ、もうあなたに負債を払う義務はありません、との知らせを受け取ったときのほっとした思い、喜びはなんともいえない感謝で一杯でした。
罪の支払う報酬は死です。みんな罪の借用証書があるのです! しかし、それは「十字架に釘づけにされた」あなたの罪の債務証書は十字架で処分されたのです!
主イエスさまは十字架上で「すべては完了した」「すべて支払った」と言ってくださってこの証書を無効にしてくださったのです。
もう私たちを責め立てる「罪の債権者」サタンは無力にされたのです。
主イエス・キリストによって、罪ある者、汚れた者を、全く赦して頂き、聖めて頂いた者として、喜び、感謝して、このお方に従ってまいりましょう。