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神が私を捉えてくださる

更新日:22 時間前

2025.12.21 ルカの福音書1章26-31節

  

 今日こうしてみなさんと一緒にクリスマス礼拝を持てることを感謝します。ご一緒に、クリスマスのご挨拶をしましょう。「メリークリスマス!」

 毎年、教会でクリスマス礼拝を守っておられる方が多いと思います。ですので、今日はクリスマスの出来事そのものより、クリスマスに来てくださったイエスキリストを通して人生を、考え方を変えられた方を紹介をして、クリスマスの恵みを味わいたいと思います。


 だいぶ前になりますが、NHKで「ひょっこりひょうたん島」という人気のTV番組がありました。この番組の製作者であって、元NHKのチーフディレクター武井博さんという方の話をさせて頂きたいと思います。   

 この方がクリスチャンになって、人生の最後の期間を、精一杯神さまに仕えて生きたいと思い、なんと60歳を超えてから、神学校に入学し、聖書を学び、牧師になられた方なのです。

 この武井先生の奥様が2年前に天国に帰られました。 武井博先生は、もうすでにコロナの中でお亡くなりになられて、奥さんはコロナ禍の中で、お別れがちゃんとできなかった。そういう状況の中ではありますが、辛いですよね。 そして、コロナ禍が終わって、武井先生の奥様が2年前に亡くなられたのです。

 みなさん、クリスチャンというのは、亡くなっても天国に行って、永遠の命が与えられて、そこで永遠に生きることができると、信じている者ですね。 死んでおしまい、ではなくて、だから奥様はご主人が亡くなるときには、会えなかったけれど、今は、天国でお会いしてるんだ、そういう希望を持って生きることができるというのは、なんと素晴らしいことではないでしょうか!  

 この武井先生がクリスチャンになったきっかけがありました。それまでの人生で、それはもう大成功したんですよ。NHKで敏腕ディレクターとして腕を振るい、本も書いて出版し、大学でも教える、といった大活躍をされていたわけです。

 ところが、自分の娘がある宗教に入ってしまって、そして、もう完全に家族との関係を断ってしまうという、辛い状況に置かれたのです。 ですから、そこから、脱出させるというか、助け出すために、本当に苦労して、時間もお金も全部つぎ込んで・・・、そんな思いをしたそうです。

 あそこの部屋に娘がいるかもしれない、と思って、夜、電柱の影から出てくるのを何時間も、何時間も、何時間も、待っていたそうです。すごい話だと思いませんか。 しかし、ある時先生が気がついたというのです。 「自分ではもう問題を解決することができない。むしろ娘の問題は娘ではなく、私の問題なのではないか」 私に問題があるのではないかって、すごい、へりくだった心だと思いませんか? それでこの先生は、教会に導かれ、自分の弱さを、罪を告白してクリスチャンになったというのです。奥様も一緒に。 そして、牧師先生になられたというお話なのです。

 実はここに、武井博先生が書いた文章があって、素晴らしい内容なのです。自分がクリスチャンになった時のことを、こういうふうに書いているのです


 それが、その日、私はキリストに、キリストに逮捕されました、と書いてあるんです。 自分の物語、その苦労したことも書いてあるのですけど、キリストに逮捕されました、と。まあ文学者ですから、そういう表現を使ったのでしょう。手錠かけられたわけではありませんし、牢獄に入れられたわけでもないのですが、武井先生が言わんとしているのは、自分が何か勉強して真理を掴んだとか、手に入れたとか、修行して勝ち取ったとか、悟りを開いたとか、ある領域に自分が達したというのではなくて、 私の方が捉えられた、捕まえられた、握っていただいた。また、別の表現で言えば、私は神に抱きかかえられたと。

 学歴だって、職歴だって、NHKのディレクターを、チーフディレクターですから、最高の方ですけれども、自分の限界を認めた時に、私を抱きかかえてくださる存在に気がついた、というのです。

 クリスマスの話に戻ります。先ほど聖書読んでいただきましたが クリスマス物語の始めというのは、「受胎告知」から始まるのです。乙女マリヤ、処女マリヤに、あなたに子供が与えられますよ と告げられる!  非科学的で 常識的には考えられないことです。 でも、それを私たちは毎年お祝いしてる! 本人だって、マリヤだって聖書の中に書いてるように、「そんなことあるでしょうか。私は男の人を知りませんのに」とあります。結婚してないのに子供が生まれることがあるでしょうかと、これ天使に対してそう言ったのです。誰もがそう思ったのがクリスマスの始まりです。 でも、その聖書には、こんなふうに書かれているのです。ルカ1章28-29節

御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。


おめでとう と言われても、何のことだか、という感じですけど、でもそのことを考えこんだ、思い巡らせた、というのがクリスマスの始まりです。 だからクリスマスとは、結構とまどって、考え込む季節だと知ってください。 パーティーをしたり、お祝いをしたり、チキンを食べたり、それもいいと思いますが、原点に帰るなら、クリスマスはとまどってしまう、自分の力では受け止められない、生物学的にも科学的にも そんなことありえないと思えることを考えるところからクリスマスが始まった、と いうお話なのです。

 みなさんいかがでしょうか、今年一年どんな一年であったでしょうか? 自分の人生に起こること、武井先生ご夫妻に起こったこともそうですが、私たちの人生には、「ああ、どうしてこんなことがあるのかな」と理不尽なこともあれば、自分が悪くて、過失で何かしてしまうということもあるかもしれません。でも、知って頂きたい。クリスマスのメッセージは

「マリヤが、たとえ全部を理解できなくても、「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」と言われ、すべてを理解してくださる神様が、彼女を抱きかかえて捉えてくださった、というのがクリスマスの始まりなのです。

 「私たちが知らなくても神は私たちを知っておられる。」 いろんなことすべて、自分では捉えられないことが結構ありますけど、私たちを抱きかかえてくださるお方がいらっしゃるのだ、ということを考える、思い巡らせるのがクリスマスなのです。  


 最後に、ある一人の人の書いた文章を紹介して終わりたいと思います。

 6年前のある朝、足に激痛を感じて目覚めた私は、ほどなく慢性関節リュウマチと診断されました。この病気は全身の関節が次々に炎症を起こして、腫れ上がり、夜も眠れないほどの激痛に苛まれるという困難なもので、一度発症すると、ほとんどの場合、生涯完治することなく、関節が徐々に破壊されて動けなくなっていく難病です。 突然の発症はまさに晴天の霹靂でしたが、不思議と、一方でこの病気は神が、私のためにわざわざ選んで与えられたものだとの確信がありました。 死に至る病気、病ではないものの、時に激しく、時にうずくような痛みと、少しずつ体の自由が失われていく現実に、一生向き合わなければならない、そのような性質の病こそが、信仰弱き私の人生にまさに必要なものだったのです。

 ここからの文章が、すごいのです。

 健康だった頃の私は、あれもできない、これもできない、とできないことばかりに目を向けて、何もしないようなところがありました。 しかし、病気になってからは、むしろできることを1つ1つ数えて喜べるようになりました。 元々病気であるなしに関わらず、やろうと思えばできることが、自分が考えていたよりずっとたくさんあったのだと気づきました。また、少しずつ動かなくなっていくために、今年はできていることが、来年にはもうできない、ということも多いのですが、だからこそ、今できることがなおさら大切に思えるようにもなります。

 すごい発見をされたと思いませんか。最後まで読んでしまいましょうか。

 すぐに治ってしまう病気だったら、このような意識の変化も、一過性のもので終わっていたでしょう。現に病気に慣れてしまった今では、ともすると病気なのだから、できなくてもいい、などと病気をあらゆる言い訳にしている、愚かな自分を発見します。しかし、そんな時には、頃合いを見計らったように、痛みが戻ってきて私を戒めるのです。 忘れかけていた神の恵みを、痛みを通して全身で思い出すことができるのです。これなら人一倍物分かりの悪い私でも、神を忘れずにいられます。私が生涯、病気と離れられないということは、すなわち神が私を生涯捉えて離さない、ということにほかなりません。


 みなさんいかがでしょう。 病気だって、災害だって、問題だって、夫婦関係だって、色々あったりしますけれど。 何もない方がいいに決まっています。でも、思うように何かが運ばない時も、私たちを捉えて離さないでいてくださる方がいるんだ、ということを年に一度、考え、思い巡らし、ああ自分は自分で生きてるんじゃなくて、生かされて生きているんだなと、できることを感謝しながらこの年末を過ごすことができたら素晴らしいと思いませんか。       

 今日みなさんと一緒にクリスマスの礼拝を守れましたことを本当に嬉しく思います。一人ひとり、歩みはいろいろですけど、こうやってご一緒することができ、来年も一緒にクリスマスをお祝いしたいと思います。けれども、何があるかわかりません。そういう世の中ですが、生かされていることを感謝して、今年もメリークリスマス!とイエスさまが、私たちのためにお生まれくださったことを、一緒にお祝いできること喜びたいと思います。

 
 

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