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今の時代を見分ける

2026,3,1 ルカの福音書12章54-59節

 

 

 今日の聖書箇所は、イエスさまがまず、天気の話から始めるのです。54節。

 

 群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ。』と言い、事実そのとおりになります。また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ。』と言い、事実そのとおりになります。」

 

2千年前も、現在も、人間は、今日の天気はどうなのか、明日の天気は、この先の天候は、というように気象に関しては大きな関心を払います。みなさんも、いろいろな形で天気についての情報を得ていると思います。TVやネットの天気予報、気象情報など。少なくても、一日に複数回は見ているのではないでしょうか。今は、いろいろな技術を使って、正確な予報が出されています。しかし、そういったものがなかった時代にも、人々は、天気を予測する術を持っていました。

 イエスさまの時代のイスラエルでも、人々は自分たちの経験から、天気を予測することができたのです。ですからイエスさまも「あなたがたは、西に雲が起こると『にわか雨が来るぞ。』と言い、南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ。』と言い、事実そのとおりになります。」と語られているのです。彼らがこのように気象を見分けることができたのは、それが生活に深く関わっていたからです。 

 毎日の生活については、人間はみんな熱心です。しかし、こうした現実の、目に見える生活だけでなく、その裏にあるもう一つの見えない世界については、ほとんど考えようとしません。さらに、そんなものは存在しないかのように過ごしています。ですから56節から次の言葉が続くのです。

 

 偽書者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。

 

「偽善者たち」とありますが、この言葉は元々は、芝居の役者という意味なのです。役者が仮面をつけて、その役になり切るところから、内面を隠して、表面でごまかす人のことを言うようになったのです。   

 では、イエスさまは、どういうことについて、彼らを偽善者だと言われたのでしょうか。 「地や空の現象を見分けること」、目に見える表面的なことは判断できるのに、内面的なこと、「今のこの時代を見分けること」ができない、しないではないか、と言われたのです。

 

 「今の時代」とは、どういう時代のことでしょうか。 それは、神の子キリストが来てくださった「この時代」であり、神による救いの手が伸ばされている「この時代」のことなのです。

マタイ4:17を見ると、イエスさまの宣教開始の第一声は

 

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 

でした。 神の子キリストが、人として来てくださり、救いの道を開いてくださったのに、人々は、いやしや悪霊からの解放とか、また食事にありつけるからとか、などといった、目に見える表面的な理由でイエスさまについていっただけでした! ですから、イエスさまは、57節でさらに、こう語るのです。

 

 また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。

 

人は、大きな流れに乗りやすいですよね。その方が楽だし、大勢で同じ方向に向かって行った方が安心なので、

 

「みんながそちらに行くのなら、じゃあ、一緒にそっちへ行くか」

 

という考えになりやすいのです。

 イエスさまがロバの子に乗って、エルサレムに入城した時に、多くの群衆が大声で喜びながら「ホサナ、ホサナ」と言って、イエスさまを出迎えました。 しかし、同じ群衆が、今度は、イエスさまが捕らえられて、裁判を受けたとき、総督ピラトは「この人には何の罪も見つからない。死罪に当たることは、何一つしていません」と言って、釈放しようしたのに、「十字架だ、十字架につけろ」と叫んだのです。 まさに、自分で判断しないで、周りに迎合するだけだったのです。

 

この57節を現代訳聖書では

 

「どうして、物事の本質を追求しようとしないのですか」

 

と訳しています。 私たちがいつも見ている表面的なこととは違った、人間にとって実に本質的なことがあるのだと言うのです。 では、その本質的なこと、人間が人間として生きていく上で、最も大切なこととは何でしょう。 イエスさまはこう教えておられます。58-59節

 

あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。  あなたに言います。最後の一レプタを支払うまでは、そこから決して出られないのです。

 

ここでも、イエスさまは、たとえで語られています。重要なことは、「熱心に和解するよう努めなさい」ということです。 この58-59節も現代訳聖書では、わかりやすく、すっきりと訳すのです。

 

今の時代は、最後の裁きに向かっている途中にあります。ですから,あなたがたは神様との和解をしなければなりません。そうでないと、最後に裁かれてしまいます。

 

イエスさまは、人はだれでもみな、最後の裁きに向かっている途中を生きているのだ、と言われるのです。 私たちは、聖書がはっきりと語っていることを、厳粛に受け止めなくてはならないと思います。 へブル人への手紙9章27節には

 

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

 

とあるのです。 裁きの基準は明確です。

 

神との和解が成立しているか、否か!

 

この一点のみです!  

 

「和解」と言うからには、それ以前は争いがあった訳です。どんな争いですか? 

 神が人間を造り、造られた人間が、この造り主の言葉に従っていれば幸いな、祝福された歩みができ、神との関係も愛と誠実さで結ばれた麗しい関係であったのです。 

 しかし、人間が神の愛の中から抜け出して、自分勝手な道を歩み出してしまいました。この神の愛を無視し、神に背を向けて、自己中心に物事を考え、行い、生きていく。これを罪と呼ぶのです! この罪を持ったままの人間を罪人というのです。

 

私たちは罪を犯すから罪人なのではなく、生れながらの罪人だから罪を犯すのです。

 

法律に触れるようなことをしなくても、人を恨んだり、憎んだり、あるいは呪ったりもするのです。あんな人は死んでしまえばいい、などと心に思ってしまう事もあるのです。子どもは教えられないのに、自分を守るためにうそをつくのです。 よく考えればいけないことだとわかっているのに、してしまうのです! なぜですか? 人は、生れながらの罪人だからなのです。          

 神は義なるお方ですから、罪を、罪人を罰せずにはいられないのです。 だから、イエスさまは、

 

「熱心に和解するよう努めなさい」

 

と言われるのです。 和解が必要なのは、私たちの方であって、神ではないのです! 私たちの方で、自分勝手な道を歩んで行き、罪を罪とも思わない生活をしていたのです。ですから、私たちの方から和解を申し出なければならないのに、裏切られた、神様の方から、和解の道を開いてくださったのです。 Ⅱコリント5:18-19にある通りです

 

神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

 

さらに続く21節には

 

 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

 

これほどまでに、私たちのことを考えていてくださる神がおられる、ということが本当に分かったなら「私は、このお方のためなら、喜んで何でもします」という思いになるのではないでしょうか! 

 

 神との和解の道を開いてくださったイエスさまを仰ぎ見つつ、信仰をもって、私たちの前に置かれている大きな戦いに勝利していきましょう。 戦いですから、傷も受けるでしょう、痛みを伴うでしょう、犠牲も払うでしょう。 でも、その向こうに勝利があると確信して前進していきましょう。なぜ? 主がともにおられますから!

 
 

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