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礼拝されるべきお方

2025.7.6 ヘブル人への手紙1章4~14節  

 

 

 新約聖書の中で、旧約聖書との関係が、最も深くて、強く結びついているのが、このへブル書であるとお語りして、先週からお話をさせて頂いております。 今日は1章4節から

 

 御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。

 

著者は、イエスさまはすべてのすべてに勝るお方、私たちがあがめるべき唯一のお方であると、語ります。 特に今日の箇所では、御子イエス・キリストは、御使いに勝るお方であることを示し、強調しています。

 天使・御使い、あるいは、悪魔とか悪霊といった、いわゆる超自然的な存在については、多くの人たちは、それは空想上のもの、と思っています。 しかし、聖書は、御使いも悪魔も明確に存在して、働いていることが記されています。

 私たちは、興味本位で、いろいろと想像をたくましくして、思い描くのではなく、聖書に書かれていることを、そのまま信じ、受け入れることが大切です。さらに、超自然的なことについては、聖書による以外、正しく知ることできないと、理解しておくべきなのです。

 さて、このへブル書はなぜ冒頭から御使いを取り上げているのでしょうか。  

 おそらく当時の教会には、天使礼拝の危険があったのではないかと思われます。ヘブル書だけでは、そのことが明確にはわかりませんが、コロサイ書2章18節に

 

  あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。

 

とあるように、当時は、教会の中にも、天使礼拝の危険性があったことが、推測されます。

 ゆえに、ヘブル書では礼拝の対象は、御子イエスキリストのみであり、天使ではない! と言っているのです。

 ユダヤ人は、神と人間が直接、接触することなどは考えられませんでしたから、神は、御使いを通して人間と接触されるのだとの考えを持っていました。   

 このような考え方を持っていた初代教会の信徒に対して、そうではなくキリストこそが仲介者として、神と人間のあいだに立ってくださるお方なのだ、ということ、また、御子イエスキリストと天使の違いを、旧約聖書からの御言葉を引用して、明確にしようとしたのです。 そして、ここで一貫しているのは、天使は被造物に過ぎないけれど、御子イエスキリストは、造り主の神である、み使いなどより、はるかに優れたお方なのだ、ということなのです。

5節

 

神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」またさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」

 

このみ言葉は、まさに、父なる神と子なる神の関係をはっきりと示している箇所です。


 次に、御子イエスキリストは礼拝を受けるお方、御使いは礼拝をささげる者、ということを示します。6節

 

さらに、長子をこの世界にお送りになるとき、こう言われました。「神の御使いはみな、彼を拝め。」

 

長子とは、イエスキリストのことです。神がイエスさまをこの世にお遣わしになるとき、み使いたちに御子を拝むべきであるとおっしゃっているのです。これは極めて説得力があります。 御子とみ使いとでは、このように天地の違いがあるのです。  み使いは礼拝する者! 御子は礼拝されるお方、つまり礼拝の対象である神なのです。

 それでは御使いはどのような存在なのでしょうか? またどんな目的のために造られたのでしょうか? 7節

 

また御使いについては、「神は、御使いたちを風とし、仕える者たちを炎とされる。」と言われましたが、

 

旧約聖書で、息とか風とかと訳されているものと、霊は同じ言葉なのです。ですから、「神は御使いたちを霊とし」と訳すこともできます。御使いは霊です。霊的存在なのです。 そして、御使いは「仕える者たち」とありますが、神の目的を実行するために、神に仕えている存在です。そしてこの1章の最後にありますが、御使いは私たちに仕えるために、遣わされた存在でもあるのです。 

 御使いは、私たちを危険からも守る働きもしているのです。 

 私は、幼い時に、命を落としかねない目にあったことが2度あります。最初は、2歳前後の時だったと思いますが、2階の手すりから下を見ようと思ったらそのまま道路に落ちてしまったり、5歳くらいの時に、車の後ろで遊んでいたら、その車にひかれて大けがをしたりということがありました。今思うと、天使が守ってくれたのではないかと思っています。

 そして8節には

 

御子については、こう言われます。「神よ。あなたの御座は世々限りなく、あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です。

 

とあり、父なる神ご自身が、御子を「神よ」と呼びかけています。 これはイエスさまが神であることを、もっともはっきりと表した言葉です。

 また9節では

 

あなたは義を愛し、不正を憎まれます。それゆえ、神よ。あなたの神は、あふれるばかりの喜びの油を、あなたとともに立つ者にまして、あなたに注ぎなさいました。

 

神はイエスさまに「喜びの油」を注がれた、とあります。

 この喜びとは、救いの喜びです。私たちの救いは、キリストが十字架でご自分の死をもって、犠牲を払うことによって、与えられました。 御使いは私たちに救いを用意することはできません。 御子イエスキリストのみが、私たちに救いを用意してくださったのです。 この救いの喜びを頂けるのは、御子によって贖っていただいた、私たちひとりひとりなのです! これよりも大きな喜びは、世界中どこに行ってもありません。

 次に10~12節までで、御子がどんなに偉大な方であるかを語るのです。

 

10またこう言われます。「主よ。あなたは、初めに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。

11これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは着物のように古びます。

12あなたはこれらを、外套のように巻かれます。これらを、着物のように取り替えられます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」

 

10節で、御子は万物の造り主であり、11節で、永遠に生きておられる方、12節で、永遠に変わることなく、不滅であり、終わりのない方であることを、旧約聖書の様々な箇所を引用して、論証するのです。 まさしく、御子イエスキリストは、御使いとは比べ物にならないくらい、偉大な方であり、全能なる神であることがわかるのです。

 それでは、御使いとはどういう存在なのかということを、最後に語ります。14節

 

御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。

 

御使いは、もちろん神に仕える霊的な存在ですが、救いに与かっている私たちにも仕える者なのだというのです。 先ほども見たように、私たちを守る存在でもあるのです。

 私たちは、イエスキリストを信じたときに、神の子とされました。世の常識では考えられないほどの身分が与えられたのです。神の子であるからこそ、大切な存在として悪魔、悪霊の攻撃から守られるように、御使いを遣わして、私たちを守るようにしてくださっているのです。

 まさに、御使いは、私たちのボディガード、シークレットサービスのような働きをしているのです。

 この手紙の著者は、旧約聖書からの御言葉を繰り返し引用することによって、御子イエスキリストこそが確かに信じ、礼拝するにふさわしいお方であることを、ハッキリと示しているのです。

 つまり、旧新約聖書は、一貫して御子イエスキリストこそ、唯一人の、今も生きておられる本当の神なのだと教えているのです。

 ですから、私たちは、このお方に確かな望みをもって、信じ、頼って生きていくことができるのです。 このお方以外に、確かな、本当の救い主はおられないからです!

 たとえ、自分にとって、喜ばしくない、どんな状況の中に置かれたとしても、この世のどんなものにも勝る、救いを頂いていることの喜びにあふれて、日々感謝して、歩んでいきましょう。

 
 

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