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みことばに聞き入っていた

2025,6,22 ルカの福音書10章38-42節

                

 今日は、ルカの福音書10章の最後の箇所です。38節

 

 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村にはいられると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。

 

 このマルタという女性が喜んで迎えた家は、マルタ、マリヤ、そして、その弟ラザロとの三姉弟の家です。ヨハネの福音書11章5節には、イエスさまはこの三姉弟を愛しておられた、とあります。 イエスさまを喜んで家に迎え入れた姉妹の対応は、実に対照的でした。39節

 

彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。

 

 妹のマリヤも、喜んで主を迎えましたが、彼女の歓迎の仕方は、「主の足もとにすわって、みことばに聞き入る」ことでした。「聞き入る」とは、周りがどんな状況であろうが、何もかも忘れて、み言葉に集中していた、ということです。

 私たちも、こういう「聞き入る」という姿勢でみ言葉を、メッセージを受け止めたいと思います。

 もう一つ、マリヤの聞き方で注目すべきは、「主の足もとにすわって」という姿勢です。 当時のユダヤでの正式な食卓に着く形は、体を横たえて、言ってみれば寝たままで食事をするのです。ですから、主の足もとに座っていた、ということは、イエスさまが足を伸ばして、体を横たえているその足のかたわらで、マリヤは床に座って、一生懸命聞いていた、そういう状況だったのです。

 これは、マリヤの謙虚さ、心の低さを現す姿勢、と言っていいと思います。足の方で、床に座って、低い所で聞いていた!これが神の言葉を聞く態度なのです。こういう所にマリヤの心の低さが現れているのです。だからこそ、イエスさまのお言葉を一言も漏らさず、ただそのまま、低い心の中に受け入れていく。水が、高い所から低い所に流れていくように、マリヤは本当に自らを低い所において、そこで語られるイエスさまの言葉を全部受け止めていった。 これが、まさに 神の言葉を聞く態度なのです。

 このような態度で神の言葉を聞いているなら、神は必ずすばらしい御業を現し、それを見させてくださるのです。 また、主のために何でもさせていただきたい、という思いにさせられるのです!マリヤは、主のために何をしたのでしょうか? 非常に高価な、純粋なナルドの香油300グラム、現在の価値で300万円くらい、それをイエスさまの足に塗り、自分の髪の毛でその足をぬぐったのです。誰に相談したわけでもないでしょう。 なぜそんなことができたのですか? それは、普段から、イエスさまのそばで、「みことばに聞き入っていた」から、今がその時なのだ、と示されたのでしょう。       

 では、姉のマルタは喜んでイエスさまをお迎えした後、どんな形で歓迎したのでしょう?40節

 

ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃってください。」

 

ここだけ読むと、なんて気が強い、言いたいことをズケズケ言う、自己中心的な言動をする女性なのだろう、と捉えられてしまうでしょう。

 では、さらに聖書を開いて、この二人の性質、気質を見てみましょう。

 今日の箇所で、イエスさまを迎えに出たのはマルタです。彼女は、イエスさまをもてなすために、せっせと働いています。マリヤは迎え入れたイエスさまの足もとに座っています。

 ヨハネの福音書11章を見ると、姉妹の兄弟ラザロが重い病で死んでしまい、埋葬されて四日経ってから、イエスさまが訪ねてこられた時、ヨハネ福音書11章20節には、こうあります。

 

 マルタは、イエスが来られたと聞いて迎えに行った。マリヤは家ですわっていた。

 

二人の様子は、今日の箇所と全く同じですね。 マルタは行動的、外向きな性格であり、マリヤはじっくり考える思索好きな、内向的な性格であることがわかります。

 神は、私たちそれぞれを、唯一無二の存在として造ってくださいました。内向的な人、外向的な人、雄弁な人、無口な人、情熱的な人、冷静な人・・・。みんな神さまが造られ、みんな神さまは、愛されているのです。もちろん、マルタもマリヤもイエスさまは愛しておられました。マルタも、イエスさまを愛し、尊敬し、慕っておりました。 だから、自分ができる、精一杯のおもてなしをしようと、一生懸命準備をしていたのです。そこまでは、全く問題はないのです。何が問題となってしまったのでしょう? マルタは嬉しくて、喜んで、もてなしの料理を作り始めました。作り始めると、「そうだ、あれも作ろう、これも作ろう」となって段々、料理の数が増えていく。それはそれで、悪いわけではないのですが、知らず知らずのうちに、増えていったその働きが、喜びで始めた働きが、しまいには喜びでなくなってきてしまったのです。時間が迫り、思うように事がはかどらない。そうなってくると、イライラしてきます。そんな状態でやっていると、料理もうまくいかない、失敗したりもするわけです。

 そうすると、人間は、「ああ私が欲を出して、いろいろやりすぎたから、こんなことになってしまった、とんだ間違いをしてしまった!」と思えれば、いいのですが、そういう時は、大抵人のせいにしたくなってくるものなのです。「妹が手伝ってくれればいいのに、いい気になって、知らん顔してイエスさまのお話を聞いているだけなんだから。私はこんなに忙しくて、手が回らないでいるのに、全く‼」と、だんだんと妹のせいにしてしまうのです。 そのマルタの状態を聖書では

 

ところが、マルタは、いろいろともてなしのために気が落ち着かず、

 

という表現をしているのです。「気が落ち着かず」、口語訳は「心を取り乱し」となっています。そんな心の状態なので、落ち着いた判断ができなくなって、イエスさままでも、批判の対象にしてしまうのです。そういう思いの込められた言葉が、40節の

 

「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのでしょうか。」

 

というように、イエスさまに不満をぶつけるのです。

 けれどもここで、間違えてはいけないのは、ただ話を聞いているマリヤは良い、もてなしのために落ち着きなく動き回っているマルタは良くない、と単純に判断してはいけないということのです。マルタが間違ったのは、もてなす働きではありません。それも必要なことです。それを最後まで、主に喜んでもらうために、奉仕すればよかったのです。しかし、自分の思いが先行して、もっとたくさんの料理を用意してもてなしたいと、主に満足して、喜んでいただきたい、というより、自分が満足して、喜びたい、となってしまったことなのです。これがマルタのいけなかったところなわけです。            

 そんなマルタに、イエスさまは優しく語りかけます。41-42節

 

主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

 

 2回、名前を呼ばれています。マルタへの愛情がこもっています。

 どうしても必要なことは、たった一つしかないとイエスさまは言われました。それは、みことばに聞き入ることです。そして、それはイエスさまを礼拝することなのです。

 ただ、イエスさまのみことばを心に受け入れ、イエスさまヘの愛を深め、イエスさまをあがめ、イエスさまに感謝し、イエスさまを恋慕う。これが、マリヤのしていたことでした。そして、これが、どうしても必要なことなのです。

 しなければならないこと、奉仕、証、交わり、いろいろあるかもしれません。けれども、どうしてもしなければいけないことは、ただ一つです。イエスさまが、私たちにひとりひとりに、何を語ってくださっているかを知ることです。

 みことばを聞き入ることなしに、どんな奉仕をしても無意味です。一時的な良いことで終わってしまいます。けれども、信仰をもって、イエスさまの語られることを聞いて、それに応答し、従っていくなら、その信仰によって神に喜ばれ、人に喜ばれる歩みができるのです。

 人生を、どんな優先順位のもとに歩んでいくか。第一のものを第一とすること。 これが最も重要なことなのです。 それが、マタイの福音書6章33節にはっきりと記されているのです。

 

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

 
 

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