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真実な方による聖め

2025.3.9 テサロニケ人への手紙第一 5章19~28節

 

 

 前回開いたテサロニケ人への手紙第一の箇所は、クリスチャンが身につけるべき基本的な資質・体質を示している、「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事について、感謝しなさい」という5章16~18節が中心でした。

今日は、その次の箇所から見ていきたいと思います。19~22節

 

御霊を消してはなりません。

預言をないがしろにしてはいけません。

すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

悪はどんな悪でも避けなさい。

 

(1)  4つの勧め

 ここには、4つのことが勧められています。

1、19節に 御霊を消してはなりません。

 

とあります。

  御霊(聖霊、神の霊)は、聖書では「火」にたとえられています。火は消すことができますが、同じように、御霊の火を私たちは打ち消すことができます。

 私たちは、クリスチャンとして歩み始めると、次第に御霊の導きを感じるようになります。これは、信仰が成長するに従って、自分に対する神の導きが示されている、と感じるようになってくることなのです。 そのときに、あえて自分のほうで、その導きを否定したり、無視し続けるならば、御霊は無理に私たちにその道を歩むようにはされません。それが「御霊を消してしまう」ことになるのです。

 けれども、私たちは御霊が導かれていると思ったときには、信仰をもって示された道を進んで行くべきなのです。 ヤコブの手紙4章6節には

 

神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。

 

とあります。「へりくだる者」を「従う者」と読み替えても意味は同じになります。神の前にへりくだるとは、神の言葉に従う事なのです。ですから、御霊によって、神の言葉が示されたなら、従う者には、神の恵みが、神の祝福が豊かに注がれていくのです。

 

2、20節には 預言をないがしろにしてはいけません。

 

とあります。「ないがしろにする」を、新共同訳聖書では「軽んじてはいけません」とあり、詳訳聖書では「侮ったり」してはばらない、とあります。

  預言というのは、聖書そのものでもありますし、また、個人的に与えられる神さまからの語りかけでもあります。これは、19節の御霊の働きと重なる内容です。自分に語られた、または、自分たちの群れに語られた、神からのみことばを、「ないがしろ」にしたり、「軽んじ」たり、「侮ったり」したら、どうなるか。 

 旧約聖書には、イスラエルの民が、神が命じられたことを無視し、特に偶像礼拝を繰り返し行ったために、主から懲らしめを受ける出来事がたくさん出てきます。

 しかし、その懲らしめは、ただ単に痛い目に遭わせるのが目的ではなく、悔い改めに導き、主に立ち返らせるための、あわれみゆえの業なのです。 

 神さまは、周りの異邦人に対しても、神が恐るべきことを行う、と警告し、最後に、その神の御業を見て「あなたがたは、わたしが主であることを知ろう」とエゼキエル書を見ると繰り返し語られているのです。 

 

3、21節には、 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

  

とあります。 聖書には、「見分ける」とか「試す」という勧めがしばしば書かれています。 例えば、ヨハネの手紙第一4章1節には、

 

「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。」

 

とあります。私たちが霊的な事柄に対して、それを見分けたり試したりするとき、変な遠慮や、裁いているのでは、と思ってしまう場合があります。 「なにか違うように思うのだけど、牧師先生が語られたことだから・・・」と思い、思考停止にしてしまう。 しかし、私たちは、従順に聞く態度が必要であると同時に、何か語られていることはおかしい、という分別をもっていなくてはならないと思います。 「おかしいな」と感じることは、決してやましいことではありません。「聞く」「質問する」ことは大切なことです。私に対してもどうぞ! 

                            

4、22節には、 悪はどんな悪でも避けなさい。

 

とあり、詳訳聖書では「あらゆる悪いものから遠ざかりなさい」と訳しています。

  ここでパウロが語っていることは、自分が行なっていることが必ずしも悪い事ではなくとも、悪い事につながりそうなものであれば、何でも避けなさい、ということです。 プロ野球選手のオンラインカジノが問題になりました。昔から、異性、金銭、名誉に強い欲望を持つと、誘惑に陥りやすいと言われています。それらから自分を守らなければいけません。 別にそういう気持ちは、さらさらないのだから・・・、ではなく、あらゆる誘惑になるような機会をつくらない!という事が大切であり、気をつけなければならないということです。

 

(2)真実な方の聖め

今日の中心聖句である、23節

 

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

 

「あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。」を、詳訳聖書は「隅から隅まできよめてくださるように」<卑俗なものから分離させ、純潔な、神に全くささげられたものとしてくださるように>と訳しています。

 パウロは、テサロニケの人たちが全く聖なる者となるようにと祈っています。テサロニケ人への手紙は、イエス・キリストの再臨が主題ですが、もう一つ、大事なテーマとして「聖め」があります。

 性的に乱れていたテサロニケの町で、クリスチャンになったばかりの人たちが、周りに流されないで、自らを聖く保つことは、とても大切なことなのだと語っているのです。

 現代社会では、私たちを誘惑するものが溢れています。特に若者たちを狙った犯罪、闇バイト、投資詐欺など様々な誘惑がスマホやネットに溢れていますが、加えて性的な誘惑に引き込むようなやアダルトサイトが溢れています。

聖書は、なぜ聖く保たねばならないと言っているのでしょうか? ヘブル人への手紙12章14節

 

「聖くなければ、だれも主を見ることはできません。」

 

 これは、クリスチャンすべて語られている内容です。主の日が近い今、私たちは眠っていないで、目をさまし、聖さの中に生きることを、強く意識すべきなのです。

 そして、その聖めは、からだだけではなく、霊とたましいも聖めが保たれるように、とパウロは祈っています。私たちは、からだと霊とたましいの三つの部分でできていると聖書は語ります。たましいは、私たちの知・情・意と言われる部分で、精神、あるいは心と言い換えることができます。これよりもさらに深い、本質的な部分が霊です。

 この霊は、神が土地のちりで人を形造られて、そこにご自分の息をふきかけられたので、人は生きた者となった、と創世記2章7節にあります。神の息、神の霊が人の中に入ったので、人は、神のかたちに似る者となったのです。だから、神と人は霊において交わることができるのです。

 神と交わることができる、神と語り合うことができるということは、信じられないくらいの大きな恵みなのです!

 最後に 24節を見て終わります。

 

あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

 

「きっとそのことをしてくださいます」、新共同聖書は「必ずそのとおりにしてくださいます」、詳訳聖書は「すなわち、あなたがたをきよめ、また守ることによって、ご自分の召しを完成してくださるのです」

 私たちにとって、本当にありがたいのは「神は真実な方」で、語られたことは必ず、為してくださる! 人間のように「そんなこと言ったっけ」などと言うようなお方ではないのです!

 神は真実な方ですから、御言葉通り、私たちがキリストにお会いするときには、まったく聖なる者、傷のない者として立たせてくださいます。確信ある、み言葉の約束を見ましょう。

コリント人への手紙第一1章2節

 

聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なる者された方々へ

 

同じく、1章9節

 

 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。

 

私たちは、誰もが自分は汚れた者、聖い者ではない、という事を知っています。 自分で自分を聖くすることなどできないのです。 だから、キリスト・イエスの十字架によるの犠牲によって、聖めて頂き、神の子キリストとの交わりができる者とされたのです。 

 この考えられないような恵みを感謝して、喜んで、主を愛し、主に仕えていきましょう!  

 

 
 

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