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本当の幸いとは

2024.8.11 ルカの福音書6章20-26節   

(1)幸せの秘訣は感謝する事

 人はだれでも幸せになりたい、と思っているのではないでしょうか? 言葉に表すか否かは別として、あるいは特に意識していなくても、だれもが幸せな人生を送りたいと思っているでしょう。

 私も十代から二十代にかけて、自分のこれからの人生について真剣に考えました。幸せな人生というよりも、生きがいのある人生を送りたい、と思ったものでした。 そのためには、やりがいのある仕事につきたい、と思い公立中学校の教師を目指すことにしたのです。人生設計をする際に、どんな仕事につくか、ということが幸いな人生を送れるかの一つの大きな要因ではないでしょうか。

 幸いな人生を送るために、まず皆さんにお伝えしたいことは「感謝を言葉で伝える」ということです。 感謝することの必要性、重大性を心に刻みつけ、ぜひ実践して頂きたいのです。 まず神さまに感謝、それが出来れば人にも感謝が出来るのです。反対に神さまに感謝できなければ、人にも感謝できないのではないでしょうか? 朝めざめることができ、気持ちよくトイレができ、朝食が食べられ、この家族の存在を、猛暑の中エアコンを、病になった時、看病してくれる人に、熱が下がったことを、健康に過ごせていることを、数え上げたらきりがないほど感謝することはあるでしょう! ・・・これまで当たり前だと思ってきたことを、考え直してみませんか! 当たり前ではなく感謝すべきことなのです!

 感謝の言葉を、具体的に、神さまに対して、また人に対して、それを口に出して現して頂きたいのです! 教会の中では、お互いに感謝の言葉は出るけど、家では家族に対していちいち、感謝なんかしないよという方!祈って努力してください。 もちろん、聖書がそう命じているから、ということもありますが、今まで感謝しなかった人が、感謝するようになると、その人の人生が、変わります! あなたが変われば、周りが変わります! どう変わるのですか?感謝される人になります。

 間違えないで頂きたいのですが、見返りを求めるために感謝するのではありません。感謝することによって、自分自身が豊かな思いになれるのです。そこに喜びが湧き上がってくるのです。                


(2)幸いは「神の愛を知る」こと

 もう一つ、幸いな人生を送るために最も必要なことをお伝えします。それは「神の愛、キリストの愛を知る」ということです!  エペソ人への手紙3章18-19節でパウロが次のように祈っています。


 すべての聖徒とともに、その(キリストの愛の)広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。


パウロは、これ以上の言葉は見つからないというほどの言葉を尽くして、「神の愛、キリストの愛」を知って欲しいと祈るのです。「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように」 矛盾した表現ですね。「理解できないようなことを理解できますように」と言っているのです。あり得ないほどの、考えられないほどの、なぜそこまでしてくださるのか、理解を越えた愛を、私に注いでくださった! そのキリストの愛をより深く知り、さらに理解しようと求め続けることが、幸いな人生を送る、最も重要なことなのだと、私は声を大にしてお伝えしたいのです!  


(3)キリストのもとに行く幸い

 今日の聖書箇所は、マタイ5章の山上の説教と重なる内容です。  20-23節


 イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。

 「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。

 いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。

 いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。

 人の子のため、人々があなたがたを憎むとき、あなたがたを除名し、辱め、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には喜びなさい、おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。彼らの父祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。


 マタイの山上の説教は、8つの祝福、八福と呼ばれていますが、ルカでは通常、喜ばしくないものだけの4つが挙げられています。①貧しい者 ②餓えている者 ③泣く者 ④憎まれけなされる時、は幸いですと語るのです。これらのどこが幸いなのでしょうか? 25-26節に挙げられている、真逆な ①富む者 ②食べ飽きている者 ③笑う者 ④ほめられるとき これこそ幸いな姿でしょう。しかし、聖書は哀れです、というのです。聖書の見方は、この世の常識的な見方とは違うのです!


 ここに出てくる貧しさ、餓え、は現実の状態であるとともに、心の状態をも現している言葉なのです。 貧しさは、心の貧しさ=へりくだった心であり=自分のうちには何の頼りにするものがない、と言う意味でもあり、餓えているは、自分で餓え渇きをいやすことはできない=自分ではどうすることも出来ない状態を意味しているのです。 そんな自分を見て、もう泣くことしかできない、泣いて、泣いて、徹底的に自分に失望する。そんな自分を見つめるのはイヤだから、現実から目をそらして、一時的な楽しみや安らぎで、つかの間の幸福感を味わうことでよしとしてしまう。それは自分をごまかしている事にはならないか? そんな歌がありましたね! 

「♬ 悲しみこらえて、ほほ笑むよりも、涙 枯れるまで泣く方がいい ♬」 そんな状態にまで行ったら、どうしたらいいんですか? そこまで行った時、本当の意味で、神さまに全面的にお頼りするのです! マタイ11:28でイエスさまは、こう言われました。


すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなたがたを休ませてあげます。


イエスさまの所に、貧しさを、餓え渇きを、涙を、ののしられる悲しみを、みーんな持って行ったら、イエスさまが全部引き受けてくださり、貧しさを豊かさに、飢えを満ちたらせ、涙を喜びに、ののしりを称賛に変えてくださるのです。 今は、悲しみの中にあるかもしれない、けれども、やがて喜びに変えてくださると、イエスさまがおっしゃっているのです! これは神の約束です! 約束してくださる方は、私のために、十字架の苦しみを受け、身代わりに死んで下さるほどに、私を愛してくださったお方なのです!


 このキリストを喜び、感謝し、お従いしていくことが、私たちにとって、最も幸いな人生であることを覚え、愛の神を見上げて歩んで行きましょう!

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