top of page

昼も夜も熱心に祈る

2025.1.12 テサロニケ人への手紙第一3章7-13節

 

(1)主にあって堅く立つ

 イエス・キリストから直接、異邦人への伝道の働きを使命として与えられたパウロは、各地で熱心に福音を伝え、その働きによって、生まれたクリスチャンの群れ、教会のクリスチャンに、会いに行きたい! と切に願っていました。 けれども、なかなか自分はいけないので、弟子のテモテを遣わして、彼らを励まし、彼らがどんな信仰の歩みをしているのかを、知りたいと思ったのです。そして、その結果が6節から

 

ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。

 

 パウロは、テサロニケの人たちを祈りの中で絶えず思い出していましたが、テサロニケの人たちもパウロのことを思い出してくれていたのです。 7節

 

このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。

 

 ここでの「あらゆる苦しみと患難」というのは、押しつぶされそうなプレッシャーと、ストレスがあったということです。

 これは、彼のこれまでのヨーロッパ宣教のことを語っています。ピリピの町においても、彼はシラスとともに監獄に入れられました。テサロニケでも、ベレヤも同じです。アテネでは、数人の回心者のみしか与えられませんでした。

 このように、決して成功しているようには見えない状況の中にパウロは置かれていたのです。 その中で、テサロニケの人たちの信仰を聞きました。

これは、パウロにとって大きな慰めであり、また力になりました。 8節

 

あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。

 

牧者であるパウロの生き甲斐は、信じた人たちが「主にあって堅く立っていること」 主に堅く結びついていること! そう導くことが牧師の働きなのです! クリスチャン一人ひとりが、主に堅く結びついていることが、牧師の喜びであることを知って頂きたいと思います。       

 

(2)「昼も夜も―いつも祈る」

さらにパウロの思いが、ほとばしり出ます  9-10節

 

私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。

私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。

 

パウロは、テサロニケの人々に対する喜びのために、神に感謝をささげ続けました。そして、彼らのために「昼も夜も熱心に祈っています」と記すのです。

 祈りについて、聖書にはたくさんの記述がありますが、今日は「昼も夜も―いつも祈る」「熱心に祈る」という事についてイエスさまが語られた、ルカの福音書11章から見てみたいと思います。 1節を見ると弟子のひとりが「私たちにも祈ることを教えてください」と願うと、イエスさまはまず、こう言いなさいと言って「主の祈り」を教えるのです。2節

 

「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。

私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。

私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負いめのある者をみな赦します。私たちを試みに会わせないでください。』」

 

「日ごとの糧を毎日お与えください」=必要欠くべからざるものを与えてください。

「私たちの罪をお赦しください」福音の中心は赦しです。赦しなくしては心からの喜びにあふれた人生は送れないのです。

「私たちを試みに会わせないでください」=試練に、辛い目に遭わせないで! これは、臆病でも不信仰でもありません。人間は試練に対しては、無力なのです。自分の力では立ち向かえないのだという、へりくだった、神の前に謙遜になって助けを求めざるを得ない祈りの内容なのです。

 ある方が、問題の大きさゆえに、何をどう祈っていいのかわからなくなった時、「主の祈り」を祈り始めました。「天にまします我らの父よ、・・・国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり、アーメン」繰り返し祈って、祈って、夜の8時から、次の日の朝4時まで1000回主の祈りを祈りました。機械的だったかもしれない、でも、途中で涙があふれて来て、いろんな思いが来たというのです。「あれから20年近くたち、振り返ると、すべての試練・困難は益に変えられていることに気づきました。これは聖霊なる神の働きであると思う」と述べています。 

 私たちも、どう祈ったら良いのかわからなくなったとき、主が教えてくださった「主の祈り」を祈り続けていきたいですね。

 

(3)熱心に祈る

 次に主が教えてくださったのは、「熱心に祈り求めること」ルカ11:5~8

 

また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ。』と言ったとします。

すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』

あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。

   

「真夜中に戸をたたく祈り」 こんな事は、非常識な行為ですが、それほどまでに必死になって「あくまで頼み続けるなら」という事なのです。詳訳聖書では「あつかましいほどのしつこさのために」と訳しました。

この箇所を聖書学者のW.バークレーは、「神を強制する祈りではなく、神の慈愛を絶対的に信じて、求め続けることを語っているのだ」と説明するのです。  それを踏まえての9節の言葉なのです。

 

わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

 

イエスの祈りについての結論です ルカ11:10~13

 

だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。

してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

 

聖霊を下さらないことがあろうか! イエスさまが教えてくださった祈りの結論です。

ここにも、父なる神の慈愛が、限りない愛が示されています。良いもの=聖霊をくださり、神のみこころが何であるかを教えてくださる。聖霊の助けによって祈るのだ、ということでもあるのです。 

 みなさん!私たちが熱心に祈っても答えがない、長い間祈り続けていても、なかなか応えられない、ということがままありますね。でも、聖霊は私たちのすべてを御存じなのです。ですから、私たちの祈りに対して、最善の答えを用意していてくださるのです!

 求め続けなさい! 夜は明けるから! 暗闇がいつまでも続くことはない! 夜明けは来るのだ!       詩篇30:5にあるように

 

夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

 

私たちも今はまだ、暗やみの中にあるとしても、必ず朝は来ます! そして、朝が来ると、必ず闇は消え去るのです! 

 聖霊の助けによって、昼も夜も熱心に祈る者とさせて頂きましょう!

                             

 
 

最新記事

すべて表示
神の国にふさわしい者

2025.3.30  テサロニケ人への手紙第二1章1~5節   (1)神とキリストのうちに  テサロニケ人への手紙第二に入ります。テサロニケの町も当時はローマ帝国の支配下にあったので、皇帝礼拝が盛んでした。クリスチャンは、神以外を礼拝することはしなかったので、迫害を受け、そ...

 
 
拒む者にもおよぶ神の愛

2025,3,23 ルカの福音書9章49-56節   (1)神の愛は寛容  先週は、だれが一番偉いのか、という説教題でお語りしました。イエスさまは、小さい子どもをそばに立たせて、このような最も小さい者、謙遜な心で、自分を低くする者、人に仕える者が、天の御国では一番偉いのです...

 
 
一番偉い者は

2025,3,16 ルカの福音書9章43-48節   (1)神の言葉を心に  今日お開きした箇所の直前、ルカ9章37-42節にはイエスさまと3人の弟子たちが、山から下りてきた時のことが記されていました。イエスさまが、悪霊に苦しめられていた子どもを、神の権威をもって追い出し、...

 
 

ジョイチャペル

©2023 by JOYCHAPEL. created with Wix.com.

bottom of page