2025.2.23 テサロニケ人への手紙第一5章12~22節
前回は「主の日」、旧新約聖書に預言されている、神が御怒りを下される日が定められている、ということを、パウロがテサロニケのクリスチャンたちに教えていることを学びました。
しかし、パウロは、クリスチャンたちは、この恐ろしいさばきを受けなくてもよい者とされているのだと強調し、安心させました。
私たち、キリストによって救われた者は、恐ろしい神の怒りに遭うことなく、天に引き上げられる約束が与えられているわけですが、それまでの間、この地上において、どのような生き方をしていけばよいのか、それをパウロは12節以降に書いているのです。
(1) 指導者との間で
12-13節にはこうあります。
兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。
その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。
ここに、「お互いの間に平和を保ちなさい」とあります。12節から、いろいろな勧めが書かれていますが、その特徴は「平和」です。私たちが生きていくときに必要なのは「平和」なのです。 聖書の中における「平和」は、私たちが考える平和とは異なります。5章3節にもありましたように、人々が「平和だ。安全だ。」と言っているときに、突如として滅びが襲いかかります。人間が考える平和は、自分の暮らしが平穏に過ごせる、ということでしょう。その場限りの平穏を、人間は平和だと思います。
しかし、聖書が与える平和はそのようなものではありません。 ローマ人への手紙5章1節には、
私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
とありますが、私たちと神との関係は、かつては、断絶状態、敵対関係でした。私たち被造物が、創造主である神に対して反逆し続けていたのです。ですから、神は私たちを永遠の裁きに定めようとされましたが、義なる神は、愛なる神でもあるので、ひとり子イエス・キリストを遣わし、キリストによって神との和解が成され、いまや神は私たちに敵対していないどころか、味方になっておられるというのが、「神との平和」という意味です。
このようなことをふまえて12節と13節。指導者と信者たちとの関係について。パウロはまず、「兄弟たちよ。あなたがたにお願いします」と懇願しているのです。そして、指導している人を「認めなさい」また、「尊敬を払いなさい」と言っています。信徒たちが、指導者たちを認めて、尊敬することによって、平和がもたらされます。牧師などの教会の指導者に対する健全な尊敬は、教会の秩序・平和にとって欠かすことができないものです。
時として牧師に対する過剰な期待をするがゆえに、それが裏切られたとの思いは牧師に対する嫌悪感となり、キリストにある平和を壊してしまうのです。平和がないとき、私たちはそこにいて、安息・平安を得るができません。 そうなってしまうと、もう御霊ではなく、肉の働きが支配し、人間の思いが支配する教会になってしまうのです。
教会の中に平和な秩序が保たれていることは、一人一人の霊的歩みに不可欠なものです。
指導者の役割は、「訓戒するために労苦している」とあります。みことばを取り次ぐ者は、祈り、備えて、この教会に、信徒に、必要なことをみ言葉をもって指摘し、成熟に向かって歩んで行けるよう、神からの励まし、慰め、助け、力を頂けるように、語っているのです。
このようなことが理解できると、信徒は指導者たちを敬わなければならないことがわかります。 聖書は、「愛をもって深い尊敬を払いなさい」と勧めます。 そこに愛があるから
尊敬するのです。指導者を通して、みことばが語りかけられ、主との歩みを確かなものにすることができるから、尊敬できるのです。牧師という肩書きや地位があるから尊敬するのではなく、主がその働きに召してくださり、今、その召しに従って労しているがゆえに、愛をもって尊敬するのです。
(2) 人々との間で
14節には、兄弟たち(信徒)の間でも平和を保つことを勧めています。
兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、
弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
注目して頂きたいのは「戒め」「励まし」「助け」という具体的な行動です。信徒間であっても、祈りの中で示されたら、聖書に従って、愛をもって、謙遜な心で、指摘し、語り、援助すべきと勧めているのです。
そして、「すべての人に対して寛容でありなさい。」と勧めます。摩擦を避けるためには、気がつき、示されても、何も言わないでいる方が楽です。けれども、主にあって訓戒を与え、戒め、励ますことは忍耐が必要であり、そういうことによっても、神の教会は健全に成長していくのです。
(3) 神との間で
最後に、神との間における平和について書かれています。16~18節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
有名な聖句ですね。喜び、祈り、そして感謝すること、これが、神が望んでおられること、とあります。私たちクリスチャンが、神との関係で最も大切にすべきことは「神を愛すること」「神を第一にすること」です。 そして、その神がどんな方であるかを、より深く知るための秘訣が「喜び、祈り、感謝」なのです。
なぜ、喜べるのか? それは神さまが、イエスさまを通して私たちの罪を赦し、神の子としてくださり、永遠のいのちを与えてくださった、この考えられない恵みと祝福を思えば、喜ばずにはいられないでしょう! 普通は、喜ばしい出来ことがあると喜び、その反対のことがあれば喜びが消えてしまいます。しかし、神に救われた喜びは、他のどんな辛く、苦しく、悲しい出来事が起こったとしても、それらを消し去り、忘れさせ、何でもないように思わせてしまうほど、救いの恵みは計り知れないほど、大きな喜びなのです!
この喜びは何ものにも奪われない、霊の深みにおける喜びなのです。
絶えず「祈りなさい」というのは、もちろん、24時間祈っていることではありません。
私はある時、この「絶えず祈る」ということに新しく開かれた経験をしました。もちろん神を賛美し、感謝し、願い、必要を求める、という普通の祈りも当然なのですが、示されたのは「神と語らう」ということ。「絶えず祈る」とは、いつも主イエスさまが私の傍らにいて下さり、私と語り合ってくださる、私のどんな言葉、どんな話にも耳を傾けて聞いていてくださる。何を言っても受け止めてくださる、まるで、親しい友人に何でも話をするように・・・。神との豊かな交わりを絶えずしていることが「絶えず祈れ」とのことだと
教えらました。
そして「すべての事について、感謝しなさい。」
今日の説教題は「感動、感激、感謝」皆さん!最近感動したことありますか? 私たちの人生に感動は大切です。TVで若さを保つ秘訣は感動することだ、などと言っていましたが、そうかもしれませんね。みなさんは何に感動しますか?
「そういえば、最近あまり感動しないな」と思っていませんか?
皆さんに感動することをお勧めします。 感動を見つけてください!
感動する心を持ち続けてください! ドラマを見て感動・感激! スポーツを見て、やって感動・感激! おいしい食事に感動・感激! きれいな夕焼けを見て感動・感激! 美しい景色を見て感動・感激! ・・・・・、探せばいくらでもあるでしょう。そしてそれらすべての背後には、神の御手がある、ですから、すべての事について神に感謝するのです!
皆さん!神に感謝する習慣が身につくと、人にも感謝できるようになります。 感謝すべきことは、意識すれば山ほどあります。
朝、目が覚めたこと、起きられること、トイレに行ける、食事ができること、仕事に行けること、親がいること、子がいること、妻が夫がいること、・・・・
この「喜び、祈り、感謝」はクリスチャンの持つべき・身につけるべき基本的な資質・体質でしょう! クリスチャンが古い体質から、この「喜び、祈り、感謝」の体質に、体質改善されることを 神は望んでおられるのです!
すべての事について神に感謝する毎日を送らせていただき、
感謝できる者とさせて頂いた恵みを、周りの方々に広げていきましょう!