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愛のうちを歩む

執筆者の写真: 木村勉(ジョイチャペル牧師)木村勉(ジョイチャペル牧師)
2024,7.14 ヨハネの手紙第二 1~11節

 ヨハネの手紙は3通が新約聖書の中に収められています。第一の手紙は5章までありますが、第二、第三は12節、15節とかなり短いものとなっています。そして、今日見る第二の手紙は、第一の手紙の要約と言ってよい内容となっています。

前半は「真理のうちを歩む」、後半は「愛のうちを歩む」ということについて語っています。

 

(1)真理を求めて

 著者ヨハネは、福音書や3通の手紙の中で「真理」ということばをたくさん使っています。第一の手紙で12回 、第二の手紙で5回、第三の手紙で4回。それ程、ヨハネにとって「真理」という言葉は重要であり、大切な内容を持つ言葉だったのです。

1~4節に「真理」という言葉が5回も出てきます。

 

1・・・真理を知っている人々が・・・

2・・・私たちのうちに宿る真理による・・・

そして真理はいつまでも私たちとともにあります。

3真理と愛のうちに、・・・あります。

4・・・真理のうちを歩んでいる人たちが…

 

 人はだれでも、真理に根差した、真実な歩みをしたいと願っているのではないでしょうか。それこそが、幸いであり、心穏やかな生活が送れると考えているからだと思います。 しかしながら、そうは思いながらも、多く人は自分を守るために、または組織を守るために、心ならずも、偽りを言ったり、真理に反する不正をしてしまったり、あるいは真実を隠したりするのです。国会議員の裏金問題や海上自衛隊の組織的な不正などが、すぐに思い浮かびます。

 しかし、私たち一人ひとりが自らを顧みたとき、自分の生活のすべての面が白日の下にさらされたら、どうでしょうか? 「わたしは真理に中に生き、うそ偽り、裏表のない、いつ、どこを見られても恥ずかしくない、真実な歩みをしています」と胸を張って言える人がいるのでしょうか! おそらくいないのでは? 何故でしょうか? 人間はみんな弱いのです。罪人なので自分の力で真理に生きることはできないのです!

 

(2)聖書が示す真理

 しかし、聖書が示す「真理」はそのような一般的に考えられている「正しく、間違いのないもの」ではないのです! ヨハネの福音書14章6節

 

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」

 

イエスご自身が真理そのものなのだ! と語るのです。 ですから、1~4節の「真理」をキリストと読み替えると、聖書の中心メッセージが浮かび上がってくるのです!!

 

1 長老から、選ばれた婦人とその子どもたちへ。私はあなたがたをほんとうに愛しています。私だけでなく、真理(キリスト)を知っている人々がみな、そうです。

2 このことは、私たちのうちに宿る真理(キリスト)によることです。そして真理(キリスト)はいつまでも私たちとともにあります。

3 真理(キリスト)と愛のうちに、父なる神と御父の御子イエス・キリストからの恵みとあわれみと平安は、私たちとともにあります。

4 あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理(キリスト)のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。

 

 この方を知ることが、人間にとって最も幸いであり、この方を知り、信じることによって、神、キリストが私たちの心のうちに宿ってくださり、いつまでも、永遠に共にいてくださる! そして、キリストの愛に包まれて、まことの神であるキリストと共に歩んでいくことができるのです。

ヨハネの福音書8章32節

 

あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

 

(3)愛のうちを歩む

まず4節を読みます。

 

あなたの子どもたちの中に、御父から私たちが受けた命令のとおりに真理のうちを歩んでいる人たちがあるのを知って、私は非常に喜んでいます。

 

 真理のうちを歩んでいる=キリストと共に歩んでいる これを知って長老ヨハネは「私は非常に喜んでいます」と記すのです。 牧師の心はこれに尽きます。牧師が最も願っているのは、信徒のみなさんが、聖書知識が豊かになり、聖書の言葉を沢山覚えることではなくーもちろんそれは大切なことではありますがーまた「うちの牧師はいい牧師ですよ」と自慢されることではないのです。 信徒の皆さんが、真理であるキリストを愛し、真理の言葉である聖書の言葉を愛して、忠実に主に仕え、主を喜んで歩んでいる姿を見る事なのです!    そして、6節には

 

愛とは、御父の命令に従って歩むことであり、命令とは、

あなたがたが初めから聞いているとおり、愛のうちを歩むことです。

 

とあり、愛とは、神の命令に従って歩むこと 命令とは、愛のうちを歩むことだというのです。

「愛とは、愛のうちを歩むこと」 愛とは、観念や思想、考えや思いではなく、行動、行いだ!というのです。 いくら、愛を語っても、愛を叫んでも、行動が伴わなければ、愛ではない!海でおぼれている人に「そんなに手足をばたばたやってはだめ、落ち着いて、力を抜いて、体を浮かせて、両手を広げて、手は上に向けて、そうすると、胸が開いて肺の中に空気が入り、浮きやすくなるから・・・」なんて教えていないで、自分が海に飛び込んで助けるか、浮袋を投げてやって船に引き上げてやらないと、ダメでしょう。 まさに、第一の手紙3章18節

 

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。

 

イエス・キリストはまさに、この御言葉通り、私たちを愛するがゆえに、私たちの身代わりとなって、十字架で死んでくださいました。 ここに神の愛が示されたのです!

 

特にヨハネが手紙の中で強調して、繰り返し語ったことは、5節に集約されています。

 

そこで夫人よ。お願いしたいことがあります。それは私が新しい命令を書くのではなく、

初めから私たちが持っていたものなのですが、私たちが互いに愛し合うということです。

 

最も願っているのは「互いに愛し合うこと」だと語るのです。

互いに愛し合って、神の命令である、愛のうちを歩み続けることによって、真の信仰者であることを示していくのだ、そうしてほしいというヨハネの願いが、ここに現されているのです!

 これは、現代の私たちにも語られている、主のご命令です! 主の言葉に忠実に従って、愛の行いを、聖霊の助けによってさせて頂き、神が今も生きて働かれていることを示していきましょう!

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