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クリスマスは奇跡が起こる

2025.12.14 ルカの福音書2章8~14節

 

(1)クリスマスに俳句?

 私事で恐縮ですが昨年8月から、誘われて町内会の「俳句の会」に参加して、月に1回の会で俳句作りをしています。多少の躊躇はありましたが、新たに地域の方との関係性も作れる機会にもなると思って、参加させて頂くことにしました。毎回、次回のお題が講師から出され、その題に沿った俳句を4句作って持っていくのですが、12月の題は、「クリスマスに関連したもの」でした。私にとっては、待ってました、といった題だったので、帰宅してすぐに作りました。この程度のものですが、みなさんに披露させて頂きたいと思います。

 

キャンドルの 光に照らされ ひれ伏しぬ

神の子が 人となりにし きよき夜 

年の瀬に 聖さを求めて チャペルへと

プレゼント サンタのはずが 値札あり

 

(2)天使が伝えたメッセージ

 教会では、いくつものクリスマスの集会がこれからも開かれます。「年の瀬に 聖さを求めて チャペルへと」導かれる方が起こされるように、そして、「キャンドルの 光に照らされ ひれ伏しぬ」と、神の光に照らされて、この救い主の前に、謙遜になって、このお方を信じ、受け入れる方が起こされるように、祈っていきましょう。

 聖書を開きます、ルカの福音書2章8-9節

 

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

 

クリスマスにはよく読まれる箇所です。 でも、今日、イメージを膨らませてください。みなさんは、ここに書かれている、羊飼いです。寒い夜、たき火の火の回りで暖を取りながら、羊の群れを見守っています。「寒い夜だね」「羊たちは、寒くないかなあ」「夕べ、生まれたばかりの、子羊は大丈夫かなあ」などと、のどかに話していたかもしれません。 そんな静かな夜に、真っ暗な夜に、突然、まばゆいばかりの光に照らされて、主の使いが現れた。もう、そんな状況を目の当たりにしたら、だれだって怖がるでしょう、恐ろしく思うでしょう。 いったい、何が起こったんだ!

この出来事自体が、まさに奇跡ではないでしょうか!   

 そして、主の使いは、何が起こったのだろうかと恐れ、おびえている羊飼いたちに告げるのです。ルカ2:10-11

 

  御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

 

羊飼いたちの恐れは、この御使いのメッセージによって、喜びに変わるのです。

 「昔から語られていた、救い主が、今、お生まれになったのだ! それも、御使いは『あなたがたのために』と言っていたぞ! なんてすごいことなんだ!」 彼らにとって、これ以上の喜びの奇跡はなかったのです。

 みなさん、羊飼いになった、羊飼いと同じ思いになってみると、クリスマスそのものが、神が私たちのために起こしてくださった奇跡である、と言えるのではないでしょうか。       

 

(3)これが奇跡でなくて何が奇跡か

 先日、「情熱大陸」をチャペルコンサートで演奏したバイオリストのお話をしましたが、今日はその彼のお母さんのお話をしたいと思います。

 このお母さんは、教会の賛美グループの一員として奉仕をしている方だそうです。この方の文章が小冊子に載ったのですが、それをちょっとみなさんに聞いていただきたいと思います。

 

 「自分は父親が大嫌いだった。」というところから始まります。 幼い時から、ことあるごとに父に殴られていた、それは時に数時間にも及び、顔にあざを作って学校に行ったことも何度もある。今の時代なら逮捕されるレベルだと思う。しかもアルコール依存症で、怒りのスイッチがいつ入るか分からないので、ビクビクしながら、いつも父の顔色を伺いながら過ごしていた。 というところから 始まるのです。衝撃的な内容ですね。どんなに辛い思いをされたのだろうと思います。 けれど、幸い、幼少期から友人を通して、このお母さんとお姉さんと3人で教会に通っていたそうです。 そこで、イエス様に出会い、神様に愛されていることを知っていった。そうでなければ、父を殺していたかもしれない、と書いてあるのです。 その後、お母様は大学に入学して、お父さんと離れて暮らすことになりました。 けれども、2年目のある日、父が危篤であるという連絡が入ったそうです。 長年のアルコール摂取で父は末期の肝臓がんになり、肝性脳症も起こしていたという連絡が来た時に、お母様は思った以上に動揺した、というのです。そして、その自分が動揺したことに、びっくりするのです。 このままの親子関係で、父が死んだらどうなるか。憎しみよりも、この関係のままで終わりたくない、という気持ちが強かった自分に驚いた、と書かれているのです。赦せないのだけれども、でも赦したい気持ちもあるという、何かそういう不思議な思いで、頭の中は整理がつかず、どう祈っていいかわからない。 そんな時に、イエス様がゲッセマネの園で祈っておられる姿が、鮮やかに心に迫ってきたというのです。十字架を前に血の汗を流しながら、自分の思いを訴えるのではなく、「父よ、私の願いではなく、御心の通りにしてください」、と父なる神に祈るイエス様の姿が思い浮かんだと言うのです。 それで、 

 

「主よ、私の願いは父親が助かり癒され、家族の関係が回復することです。でも命はあなたの御手の中にあります。あなたの御心のままに行ってください。できれば父を生かしてください。」 

 

と、そうお祈りをしたそうです。 

 祈りを捧げてから30年の時が経ち、父の肝臓にあった無数の癌は、すべて消えてしまったのです!  すごいですね。実は、父の父、祖父はクリスチャンだったそうです。 お父さんは、今では教会に行くのが何よりも楽しみだと言い、自分の父親との天国での再会を心待ちにする、やさしい、穏やかなジィジとなって、大きな声で賛美を歌っているとのことです。 私が、息子たちにジィジの過去の悪業の数々を話しても、今では私が話を作っているのかと思われるほどだと。

 文章の最後にこうあるのです

 

「これが、これが奇跡でないならいったい何が奇跡なのだろう」

 

みなさん、これは実話です! まさに、「これが奇跡でないなら何が奇跡なのでしょう。」

 虐待をしていた父の言動によって、どれだけ傷ついてきたか。あざがあって、家庭が一番安全な場所であるのにそうでなかった。でも大嫌いな父のためにも、やっぱり回復してほしい。関係が元に戻ってほしい。 病気が治ったことも奇跡ですけれど、お父さんの心が変わった!

 人は変われる、神さまは人を変えることができるのだ、とこの文章を読んで、改めて思わされ、感動いたしました。

 

 みなさん、クリスマスには奇跡が起こるんです! いえ、神さまは奇跡を起こすことができるのです! 

でも、よく考えれば、今日私たちが生きていること、生かされてること、息をしてること、これは奇跡と言えるのではないでしょうか。

 私たちの心臓は1分間に5Lの血液を送り出しているそうです。それを毎日休まず続けている。 私たちが、この体を持っているだけでも奇跡だと思いませんか。

 大きな奇跡も期待したい、不思議なことがなされることも楽しみにしたいと思いますが、今日生かされていること、こうしてみんなで集れることも奇跡なのだな、と思います。

 

 何よりもクリスマスが奇跡です。 

 

すべての人に与えられた奇跡です。神の独り子なるお方が、この地上に生まれてくださった。それは 私たちを愛してくださっているからです。その愛を感じながら、素晴らしいクリスマスをみなさんと一緒に過ごしたいと思います。

 
 

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