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平和をつくる神の子イエス

更新日:2024年12月2日

2024.12.1 マタイの福音書2章1~12節  

 

(1)アドベント

 アドベント(待降節)の第一週を迎えました。クリスマスを、イエス・キリストのご降誕を心から喜び、待ち望む期間に入りました。暗闇の中に輝く光! クリスマスのキャンドルの火は、暗い世界に、そして、人々の暗い心に光を灯してくださるために来てくださった、神の子キリストを表しているのです。               

 

(2)不安な者、喜びあふれる者

今日は、クリスマスのメインの聖書箇所からです。マタイ福音書2章1節から

 

イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、

見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。

 

 この博士たちは、およそ1500kmぐらいの旅をしてきただろうと言われています。大体、青森から鹿児島ぐらいまでの距離。1~2年はかかったんじゃないかという風に言われています。 3人の博士とよく言われますけれども、200人ぐらいの集団でこの旅をしたのではないか、と言われています。1年以上の旅ですから、食糧もある程度の水も、また護衛のための人員も含めるとそのくらいの人数が必要だったであろうと言われているのです。盗賊に襲われる心配もあったのです。あとから触れますが、宝物を持っていましたから。けれども、その人々、博士たちが、エルサレムを訪れて 2章2-3節

 

 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、

東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」

それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。

 

みなさん、人間の不安というのは、たとえ王であったとしてもあるんですね。またその不安は周りに広がっていく、そのことを見ることができます。

 ヘロデ大王は自分の立場を守るためには、何でもする非常に冷酷な人物でした。自分の奥さん、母親、そして3人の子供たち、つまり自分の地位を狙うことのできる人物を次々に殺していってしまうのです。 8節まで飛びます。

 

そして、こう言って彼らをベツレヘムへ送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、

わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」

 

みなさんはすでにお分かりだと思いますが、このヘロデ王の言葉は全くのウソ! 自分の立場を危うくする者はすべて亡きものにする、という思いなわけです。また、このへロデ王、そして、取り巻きの祭司長、学者たちは、悲しいかな、本当に人間の姿そのものであると思います。 つまり、このエルサレムからベツレへムは結構近いんです。しかし、博士たちは遠くの地から長い時間と労力、財力をかけて、拝みに来たのに、こんなに近くにいる祭司長、そしてミカ書の預言を知っていたのに、彼らはきっと冷やかな思いで、または面倒なことに巻き込まれたくない、自分の平和を守っていればそれでいい、という考え、態度でいたのです。

 聖書の言葉を知ってはいても、信じない、行動しない、まさに、知識はあるが、信仰はどこに・・・、そんな人たちだったのです。 そんな中でマタイの2:9-10

 

彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、

ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。

 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。

 

感激の喜びでしたと、訳している聖書もあります。 

 

(3)思いがけない出来事の中で

最後に12節

 

 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、

別の道から自分の国へ帰って行った。

 

神様の声を聞き、そして主イエス キリストに出会うと新しい生き方、違う道に、新しい道に導かれていくというふうに、理解することができます。

 東の博士たちは3つの宝を捧げました。黄金は王様への贈り物として用いられていたものでありました。王を象徴するものでした。 また乳香というのは祭司。祭司は神と人との間をつなぐ、そういう存在に対する捧げ物でした。イエス様はまさに、断絶していた神と人との間に立って、その関係を回復し、結び合わせるために来てくださった、そういうお方です。 また没薬というのは死者への供えものでした。つまり十字架と復活が、すでにここに示されていたということなのです。

 3つの捧げ物は、ヨセフとマリアにとって驚くべき、それは奇跡的な贈り物だったと思います。 他にも、今までいくつもの奇跡を、このヨセフとマリアは体験してきたと聖書にはありますね。 イエス様を地上に迎えるために奇跡を経験する。天使が現れ、ザカリア、エリザベスに励まされ、そして羊飼いたちが訪問した時に、どんなに大きな励まし、奇跡のような出来事に驚かされたでしょうか。 

 みなさん、これは私たちもイエス様を信じようとする時に、心にお迎えしようとする時に、神様は、形は違うでしょうが、様々な励ましを、助けを送ってくだっているのではないでしょうか。 

 でも同時に、どうして奇跡が起こらないのか、ということもヨセフもマリアも経験してきたと言えます。身重のマリアを連れたベツレヘムでは客間のない、居場所のない、そんなところでの出産でした。 

 神の子だと言われていたのに、どうしてこんなひどい生まれ方なのか。イエスさまが生まれた直後、マタイ2:16-18には、イエスさまの生まれた場所を博士たちが知らせなかったために、ヘロデ王は怒りに任せ、2歳以下の男の子をすべて虐殺するのです。ベツレヘムだけではなく、その付近の地方にいる2歳以下の男の子をことごとく、ひとり残らず殺した、というそういう出来事が、今日の出来事のすぐあとに聖書に書かれているのです。 一体どうしてこんなことが起こるのだろう。

 ・・・なぜですか? と言いたくなるような出来事です。

 これは私たちの人生にも言えることだと思います。どうして、と思うようなことが、現実問題としてありますね。なぜ、こういうことが起こるか分からない、ということもあるでしょう。

 

 しかし主を信じて歩む中で、神様は不思議な助けを与えてくださるのです。

「ああそうだったのか」、「こういうことだったのか」、という不思議な平安を、私たちの人生の中にもたらしてくださるのです。 

 クリスマスに誕生してくださったイエス・キリストは「平和の君」と呼ばれる方ですから、この世界に、また私たちの心に平和を、平安を与えてくださるお方なのです。このお方がいつも私たちとご一緒してくださるのです。 この平和の君であるイエスさまにお従いし、そしてこのお方と共に、嵐のような夜もあるでしょう、たくさんの大変な出来事があるでしょう 。でも、主が、私たちに、この世界の中に、私たちの周りに、平和を作り出す者としての使命を与えておられるのだと信じ、受け止めて、歩んでいく者とさせて頂きましょう。 

最後に私が小学校3年生の時に、教会の日曜学校で始めて覚えた暗唱聖句を紹介してお話を閉じます。

マタイ5章9節 口語訳

 

「平和をつくり出す人たちはさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」

 

 

 
 

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