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小さなこと、小さな働きこそ

更新日:16 時間前

2026.5.10 ルカの福音書13章18-21節

                        

 

 今日は「母の日」お母さんに心からの感謝を伝えたい! 「お母さん、いつもありがとう!」なにしろ、お母さんがいなかったら生まれてなかったわけですから。 すでに地上にはいらっしゃらないお母さんもおられるでしょうが、お母さんを与えてくださった神様に心からの感謝をおささげいたしましょう。 

 

18-19節

 

  そこで、イエスはこう言われた。「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。

  それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」

 

からし種についてマタイ13:32で「どんな種よりも小さい」とあります。   

 私たちは、本当に小さい者、弱い者、力のない者、かも知れませんが、神様は「あえて」そういう者たちを選ばれたのです。 

 それは、決して自らを頼りにしないで、ただ主にのみ頼り、神様に栄光を帰すようにという、神さまのご計画なのです。

 

 聖書を見ると、神の召しに対して、声をかけられた者は、みんなしり込みをするのですが、主はいつも

 

 「わたしが共にいる」「わたしが勝利を与える」「わたしが導く」

 

と言って、励ましてくださるのです。

 神様の働きは、いつも、からし種のような、小さなことから始まるのです。その小さなことを大切に受け止めて、心を込めて、従い、行なっていくときに神さまが豊かに働かれるのです。

 ジョイチャペルもはじまりは、家の教会からでした。でもそんな家の教会であっても、集う人数は少なくても、みんなが喜んで礼拝を守り、みんなで小さな奉仕をして歩み始めました。そして、成長させてくださるのは神さま、とのみことばを実感させて頂きながら、今日まで来ました。ハレルヤ!感謝しかありません。

                    

 しかし、私たちはどうしても、気分に左右されがちです。でも、神様は私たちの気分に左右されるお方ではありません。

 私たちの気分が落ち込み、沈んでしまって、神様がすぐ近くに感じられない、なんだか神さまが遠く感じて、愛されているとは思えない、そんな気持ちになることがあります。

 しかし、聖書は「主はともにおられる」と言い切るのです。

 こんな小さな、こんなつまらない、こんな平凡な、こんな何もない自分、しかし、神様は決してそれを小さなこと、どうでもよいこと、取るに足りないこととはされないお方なのです。

 からし種を、こんな小さい種で一体何が期待できようかと、そのまま袋に入れておいたら、何事も起こりません。 しかし、それを庭にまくと、小さな自分を神の御手の中にゆだねると、「成長させてくださる神」が御言葉通り、成長させてくださるのです。

 小さい、小さいからし種ほどの奉仕を、しかし、主は大きく育てて、実りを与えてくださるのだという信仰をもって、主に仕えていきましょう。      

 

 イエスさまは次にパン種のたとえを語られました。パンを焼くとき粉の中に入れる、イースト菌、ふくらかし粉と呼んでいました。 聖書の中でこのパン種が出てくるときは、大体が悪い意味で用いられています。 たとえばマタイ16:12を見ると、パリサイ人やサドカイ人のパン種に気をつけよ、と彼らの偽善、間違った教えを指して言っています。また、1コリント5:8では、悪意と不正のパン種という表現が用いられています。 

 

 ですから、パン種というと悪い印象があるのですが、今日の所では悪い意味で用いられているのではありません。ほんの少しのパン種が与える影響の大きさ、変化の大きさを指すたとえとして用いられているのです。

 

  またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種を取って、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」

 

パンをご自分で焼く方もいらっしゃると思いますが、小量のパン種で粉全体を膨らませて、ふわふわのパンを焼き上げます。

 このパン種のたとえ話から、何を学ぶべきなのでしょうか? 私たちがイエスキリストを信じることによって与えられた大きな変化が、私たちの人生に、私たちのうちに起こるのだということなのです。 

 私は小学校3年生の時に、担任の先生の家で始まった子ども会に行って、そこから聖書と言う本があること、イエスキリストという神さまがいることを知りました。その時はよくわかりませんでしたが、そのことが、その後の私の人生を決定づけたのです!

 子ども会に遊びに行って、そこでイエスキリストに出会った、本当に小さな、小さなはじまりが、まさにパン種が私の中に入ったようなものですけど、それが私の人生を一変させ、その後の歩みに大きな変化をもたらしたのです。 

 みなさんにとっても、イエスキリストを信じるというパン種は、驚くべき変化を起こし、また、これからも起こしていくのです!  パン種が粉の全体を膨らませ、変化を与えるように、イエスさまとの出会いは、私たちの生き方、あり方、そしてその品性までも、一変させる力があるのです。

 

 第Ⅱコリント5章には、イエスキリストの十字架の愛に触れることにより人生が、どれほど変えられるかを、実にはっきりと示した箇所があります。

 この箇所から、イエスキリストを知ることによって起こされる、驚くべき変化を見ていきたいと思います。第一の変化はⅡコリント5:15

 

  また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。

 

私たちの生きる目的が、生きる意味が変えられる! ただ、自分のためにだけ生きる人生ほど虚しい、寂しい人生はありません。 

 しかし、私たちが、誰か愛する者のために生きるとき、それは大きな生きがいになり、喜びになるのです。 そして、何よりも私を愛し、私のために十字架で命さえも捨ててくださった、イエスキリストの愛に応えて生きていく時、ここに人生最高の意味と目的が与えられるのです。 

 

第二番目に、Ⅱコリント5:16

 

 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。

 

価値観が一新される ということです。

「人間的な標準」とは? 美しい、かっこいい、社会的な地位、立場、経済力、とても良くしてくれる、とても親切だ、とても・・・だ。そのような理由で人を判断することです。

 でも、パウロはもう、そんな人間的な標準で人を、すべてのものを見ない。判断しないと言い、本当に価値ある目に見えないもの、永遠のもの、真実なものを喜び、求める者に変えられたのです。   

 

第三に、Ⅱコリント5:17

 

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 

すべてが新しくされ、その人自身が質的に変えられるのです。

「私、イエスさまを信じたけど、あんまり変わらない」そう思っている方がいるでしょう。自分自身を見ると、本当に「どれだけ変わったのかなあ」と心配になるかも知れません。

 しかし、以前は神を信じなかった者が、からし種ほどの信仰であっても、神を信じているということは、なんという驚くべき変化でしょうか! 

 あなたの内に、あなたが思うよりも大きな変化が起こされているのです!

 

第四番目に、最後に、Ⅱコリント5:18

 

 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。

 

神さまとの関係が新しくなります。また、そのことからくる新しい使命が与えられたというのです。

 私たちは、以前は、神に背を向け、神を無視して生きている者でした。ですから、本来ならば私たちは神さまから、のろわれ、罰せられ、捨てられて当然の者でした。しかし、その一切ののろいと罰をイエスさまが身代わりとなって十字架で受けてくださったのです。

 そして、そのことによって、私たちに神さまとの和解が与えられたのです。ですから、今や、神さまを「お父さん」「アバ、父よ!」と呼べる神の子としてくださったのです。最も親しみを込めた呼び方!「おとうちゃん」と呼べる者とされたのです。

 

 小さな、小さなからし種が、大きな、大きな木になり、ごく少量のパン種が、粉全体を膨らませるように、神様は、本当に、小さな、小さなことを重んじてくださり、小さな、小さな者を尊んでくださるお方なのです。          

 このお方を心から喜び、感謝し、愛して、自らをささげて、仕えていきましょう。 

 
 

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