命じられたとおりに
- 木村勉(ジョイチャペル牧師)
- 2024年12月15日
- 読了時間: 6分
更新日:2024年12月16日
2024.12.15 マタイの福音書1章18-25節
(1)ヨセフの葛藤
マタイ福音書の1章の1節は、アブラハムの子であるダビデの子イエスキリストの系図、と始まっています。そこから、系図がひたすら続いて続いて、最後ヨセフという人に、つながるわけです。 この系図が、ずらずらと書き記されていることの意味は、イエス・キリストという方は、まことに人として、この地に誕生してくださったということを意味しています。
イエス様は100%人間として、この地に誕生されました。ですから、働けば疲れもするし、お腹もすきます。睡眠が必要ですし、また悲しければ涙を流されることもあるわけです。100%の人間、それがイエス様です。
しかし同時に、この方は100%神様でもいらっしゃいました。 それが今日18節に記されている内容であるわけです。18、19節
イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
婚約期間中に、自分の妻となるべきマリアが身重になっていた、妊娠していたことが分かった、というわけです。当時のユダヤ社会では、結婚前に男女が関係を持つということは非常に重い罪とされていました。また、妻が夫以外の男性と性的関係を持ったら、それは石打ちの刑という、死刑に処せられるほどの重罪であるわけです。 このヨセフという人物は正しい人であった、とあります。それゆえ、マリアがそのような刑に処せられるのは耐えがたい。何とか助けたいと、考えた抜いた末、内密に去らせよう、と決心したわけです。
しかし、そんなヨセフに不思議が起こりました。それが20節
彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。
その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
20節の初めに、「彼がこのことを思い巡らしていた時」と、あります。決心はしたけれども、「本当にこれでいいのか」というヨセフの葛藤というものを、この言葉から見ることができると思います。
また、マリアに対する疑いも起こったでしょう。あるいは自分は裏切られた、と思ったかもしれません。眠られぬ夜を過ごしたことでしょう。 その中で内密に去らせよう、離縁しようと決心したというのです。
(2)ヨセフの試練
しかし、そんなヨセフの元に御使いが訪れました。御使いは、20節後半で
その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
と語るのです。 そして、21節では、
その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。
と語るのです。イエスというこの名前の意味は「主は私たちの救い」という意味です。主は私たちの救い、人々を罪から救う者となる、それがイエス様であり、クリスマスの目的であるわけです。
イエス様は 私たち人類の罪の身代わりとなられて、十字架で命を捧げられました。
罪と言われても、私は罪など犯していない、と普通は思うでしょう。しかし、人間、誰でも自分の内側を見つめれば、良くない思い、汚れた思いがあるでしょう。人には言えない過去というものを抱えている場合もあるでしょう。分かっちゃいるけどやめられない、悪習慣というものもあるでしょう。
英語で罪は、S I N と言いますけれども、このSとNの間には、Ⅰがある! 罪の本質は、私が中心だという、自己中心の罪だという事を象徴している言葉であろうと思います。
しかし、そんな愚かな、自分のことしか考えない、罪深い私たちの罪を赦すために、イエス様は十字架にかかって死んでくださったのです。 そして、それだけではなく、23節
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
とあるように、この救い主は、いつも私たちと共にいて、助け、導き、励まし、慰め、歩むべき道を示してくださり、祝福された人生を歩ませてくださるお方だというのです。
(3)ヨセフの従順
続いて24節25節
ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、
その子どもの名をイエスとつけた。
ここにヨセフの従順を見ることができます。聖霊によって身重になった、そんなことは、人間の知性では理解することができません。けれどもヨセフは夢に現れた主の使いの啓示に従って、自分の知性を超えて、理性を超えて神様の命じられた通りに、従ったのです。
最後の25節には「子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく」とあります。彼女を知ることはなかった。すなわち夫婦の関係は持たなかったということです。
イエス様は聖霊によって身ごもって生まれる、という、このことが確かなものとして、証しされるためには、ヨセフはマリアに触れてはならなかったのです。マリアと関係を持っては、ならなかったのです。
(4)子となる特権
ヨハネによる福音書の1章12節には、こういう御言葉があります
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。
彼、すなわちイエス様のことを受け入れた者、信じた人々には神の子どもとなる特権を与えたんだ、とありますけども、続く13節にはこうあります
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、
ただ、神によって生まれたのである。
この御言葉は考えれば考えるほど、すっごい御言葉だなと思います。 イエス・キリストを信じた私たちは、まさに神によって生まれたものなんだ、ということ! イエス様が、聖霊によって 身ごもられて誕生されたかのごとく、イエス・キリストを救い主として信じた私たちもまた、よみがえりの力により、聖霊により、神様によって生まれた者なんだと語るのです。
短いお話をしてメッセージを閉じたいと思います。
あるクリスチャンの女性が肺がんのために、ご主人と小さな7歳と4歳の子供を残して、お亡くなりになりました。ご自分の病状を知り、この女性は、子供たちにも、遺言を残してらっしゃって、最後の手紙には、「さよならは言いません、天国でまたママと会えるから、だからママは、『またね』、と言います。」とそのように書き残していらっしゃったそうです。
愛する者との別れというものは、年齢がいくつであっても、悲しいものです。 辛いものです。しかし、またね、また会いましょう、さよならではないんだよ、そう言うことができるのは、なんと幸いなことではないでしょうか。 ヨハネ福音書3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
これが クリスマス最高の、最大の、私たちに与えられたプレゼントです。
すでに、天に帰られた愛する方々がいっしゃいますが、けれども、私たちクリスチャンには、再会の希望が与えられているのです!またあの方、この方とお会いすることができるのです!
永遠の命を頂いている、この望みがあることを喜んで、クリスマスを迎え、感謝したいと思います。 インマヌエル、どんな時でも主はご一緒です。 この方と今週も共に歩んで行きましょう。