全地が暗くなった
- 木村勉(ジョイチャペル牧師)

- 2 日前
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更新日:2 時間前
2026.3.29 マタイの福音書27章45-54節
今週は、イエスさまが十字架にかけられて苦しみの後に死なれた、受難週を迎えました。
私たちは、このイエスさまの十字架と受難を心に留める一週間を過ごしたいと思います。
「ノー レイン、ノー レインボー」と言う言葉があります。雨降りは嫌だと思う時があるかもしれません。でも雨が降るからあの美しい虹が見られる、と言う意味です。
もう一つ、「ノークロス、ノークラウン」と言う言葉があります。キリストの栄光、キリストの復活、その前には苦しみがあります。受難があります。主の十字架があったから、復活があり、私たちにも復活の希望が与えられたのです!
教会のシンボルは十字架です。十字架は十字架そのものがメッセージであり、十字架は私たちに語ります。十字架が私たちに何を語っているか、この受難週はそれに耳を傾けて欲しいと思います。
イエスさまは十字架上で7つの言葉を語られました。これは7つですから7日間。今日から始めれば土曜日まですることができる、黙想の内容です。今週、十字架上でイエスさまが私たちに残してくださった メッセージを受け取って頂きたいと思います。
一番目、それは罪の赦しの宣言です。ルカの福音書23章34節。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
イエスさまは、十字架の苦しみの中で私たちの罪が赦されるために、とりなしの祈りをしてくださいました。この一週間、心に思い起こされる罪を告白し、悔い改めましょう。 そして もう一つ 。誰かの過ちや、批判的な、否定的なことを自分に語った人を赦し、すべての苦い思いを神さまに告白し、明け渡しましょう。
二番目、天国、パラダイスの確信です。ルカ23:43
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
十字架にかけられた、隣の強盗に言われた言葉です。
私たちは天に国籍が与えられている恵みを感謝しましょう。やがて天国に帰ります。そのゴールから現在を見つめ直し、今何をすべきなのか、問い直してみることも大切ではないでしょうか。
三番目 、新しい神の家族の形成です。これは、母マリアと弟子のヨハネとに対して語られた内容です。ヨハネ19:26,27
「女の方。そこに、あなたの息子がいます」
「そこに、あなたの母がいます」
神の家族に加えられた 特権を喜びましょう。かけがえのない兄弟姉妹を感謝しましょう。
四番目。 これが今日の中心的な内容なので、最後に見ます。
5番目、霊的な渇き、渇望です。ヨハネ19:28
「わたしは渇く」
何に渇いて、何を一番必要としているのか、自分に問うてみましょう。
生活の優先順位は? なくてはならないものは一つである、とイエスさまは語られました。それを選択し、求めていきましょう。
6番目、過去の終わりと、約束の完成です。ヨハネ19:30
「完了した」
救いは、完璧に成就して完了しました。過去を振り返らなくていいのです! 救いと癒しと和解を完成してくださいました。
最後7番目。 完全な信頼です。ルカ23:46。 イエスさまの十字架上の最後の言葉
「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」
みなさん、私たちも「おとうさーん」「アバ父よ」と父なる神様を呼び求め者とされているのです。このお方に、自分の人生をゆだねましょう。イエスさまは霊を、ご自分のすべてをゆだねました。
もう一つお話して終わります。 それは愛されていることを体験しようという内容です。
主に愛されています。どれぐらい愛されているかの マタイ27章の45節と46節。十字架上の7つの言葉の4番目!
さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
イエスさまは大声で叫ばれました。イエスさまが「私は十字架に捨てられたんだ」「どうして捨てられるんですか!」と叫ばれたのです。 この「悲痛な叫び」を受難週の期間を通して、深く感じて頂きたいのです。
イエスさまは父なる神様からの「拒絶と断絶」を経験されました。
全地が真っ暗になった。真っ暗闇が続いた。父なる神から拒絶され、断絶された!
私たちの身代わりに、拒絶され、断絶されたのです。私たちの罪は、神さまから受け入れられないそれほど大きなものなのです。 でもイエスさまはそれをご自分が身代わりに引き受けてくださったのです。
見捨てられたのは私たちのためです 。私たちが かつて経験した拒絶や裏切りや、心に刺さった暴言や、理不尽な出来事、それらから解放されて、その傷から癒される! イエス様の打ち傷によって、私たちは癒されたのです。あなたも、私たちも癒されて解放されて、生きることができるのです。 イエスさま感謝します!
もし今、病を、痛みを抱えて生きておられる方がいらっしゃるなら、イエスさまはそれを引き受けてくださいました。 親に拒絶されたり、誰かに拒絶されたり、本当に傷ついた経験がある方、 いらっしゃるでしょう。 人は悪気がないかもしれないけれど自分は傷ついた。一生懸命やったのに認めてもらえなかった、受け入れられなかった。 イエスさまはその傷を引き受けてくださったのです。あなたが癒されて、新しい生き方ができるために!
イエスさま、あなたの十字架によって、新しい命が全身に流れて生きることができるようにしてくださったことを感謝します。
イエスさまは完全な拒絶と断絶を経験してくださいました。闇が光を覆い尽くしてしまったような現実の中で、私たちの孤独をその身に引き受けてくださったのです。だからこそ、私たちはこの方に信頼して生きることができるのです。
イエスさまがエリ、エリ、レマ、サバクタニと叫んでくださった その意味が、みなさんにお分かりいただけたでしょうか。 もう一度、主の十字架を心に留めることで イエスさまが成し遂げてくださったその愛を、少しでもみなさんが体験する一週間であり、そしてイースターを喜び、復活の日曜日を迎えて頂きたいと思います。「ノークロス、ノークラウン」ですから!
栄光の冠りのような、イースターの朝を迎えるために、この一週間を過ごして頂きたいのです。
最後に一つのお話をして終わりたいと思います。 私たちには、もう大人になりましたが子どもが3人います。3人とも性格が違います。子供たちが与えられたと言うことは、本当に素晴らしく、感謝なことです。 たとえば、みなさんが私にこんな質問をしたとします。「先生、3人のうちだれが一番好きですか ?」 私は何と答えると思いますか? どう答えるでしょうか? 優等生的な答えは「全員、愛しています」。 かたより見ずに一人一人が唯一無二の存在ですから同じように愛しています! と優等生ならそう答えるでしょう。 それでは当たり前の答えなので、考えました。
もちろん3人とも愛してますよ。でも、今、何か大きな問題を抱えていたり、壁にぶつかっていて、なかなか解決の道を見いだせないでいる子ども、そういう状況に置かれている子を、一番愛します。そういう子どもに愛を注ぎます。 だれではなくて、その時、その時によって、調子がいい時もあれば、うまくいかない時もあります。その時々に、一番うまくいってない子どもを、最も愛すべきではないか。これが私の答えです
どうでしょう ? イエスさまも同じではないでしょうか。ここにいる全員を愛しています。 十字架で命を捧げるほどに愛しています。 でも、もしかして変わりたいのに変われない。愛したいのに愛せない。何かに、誰かに依存して、それが高じて関係を壊し、過度の期待をして、逆に期待はずれで、傷ついてしまう。 すべてがうまくいっていない。
そういう人がいるなら、私たちの神様は、みんなを愛してます。 でも、その人を、今、特別に心にかけて、愛しておられるのではないでしょうか。 弱さを感じたり、傷を感じたり、痛みを感じ、拒絶を感じているなら、あなたは今、神様の注目の的です。 そんなあなたを愛し、あなたのためにイエスさまは十字架にかかってくださったのです。
その愛を受け取らないで 生きてしまうことがないようにして頂きたいのです。
イエスさまの愛を受け取って、感謝して生きていきましょう。