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執筆者の写真木村勉(ジョイチャペル牧師)

信仰はどこにあるのか

2024.11.10 ルカの福音書8章22-25節

 

(1)襲いかかる嵐

今日の聖書箇所をじっくり見ていきたいと思います。ルカ8:22-23

 

 そのころのある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた。それで弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。

 

イエスさまが「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」と言われて、弟子たちが、その言葉に従って、舟を出したのです。舟が出てすぐに、イエスさまは眠ってしまわれました。イエスさまは、働き通しで体力的にはかなり疲れていらしたのでしょう。舟が波に揺られながら進む、その心地よさに眠ってしまわれたのでしょう。  ルカ8:23後半~24節 

 

ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。

 

 ここで一つ考えさせられるのは、イエスさまが「湖の向こう岸へ渡ろう」と言った言葉に従って、弟子たちは舟に乗って出かけたのです。 みことばに従って、その通りに行なっても、喜ばしい事ばかりでなく、つらい試練に遭うこともあるのだ、と今日の聖書箇所から学ぶことができるのです。 すべての出来事は、神の御手の中で、神の許しの中で起こっている、との信仰を私たちは忘れてはならないと思います。 そして、神さまは決して、無駄なことはなさらない、ということも心に留めておくべき大切なことなのです。 テモテへの手紙第二 2章13節には

 

「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。」

 

というみ言葉通りなのです。

 みなさんの中にも、信仰を持って歩んできたのに、なんでこんなことが、つらい事が、困った事が、悲しむべきことが起こってくるのだろう? という経験をした方もおありだろうと思います。 現実は確かに厳しい状況に置かれたかもしれませんが「イエスさまは常に真実なお方である」とのみことばを、聖霊によって思い起こさせて頂いて、このお方がいつも一緒にいてくださる、との確信をもって、主を見上げて歩んで行く時に、「神はすべての事を働かせて益としてくださる」とのみことばを必ず、成就してくださるのです!

 

(2)信仰はどこにあるのか

 弟子たちにとっては、イエスさまがそこに一緒にいてくださるだけでは不十分で、寝ているイエスさまではダメだ、というのが彼らの考えであったのです。しかし、眠っているのは、むしろ彼らの信仰だったのです。 ルカ8:24後半

 

イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。

 

イエスさまは、この世界万物をお造りになった創造主です! ですから、自然界においても、超自然界においても、すべての権威を持っておられます。ですから、イエスさまの一声で波も風も鎮まりました! そうして、弟子たちの恐れを取り去ってから、 25節

 

 イエスは彼らに、「あなたがたの信仰はどこにあるのです」と言われた。

 

 このイエスさまの言葉は、彼らの不信仰を責めておられる言葉です。寝ているイエスさまを起こして助けを求めることは、不信仰そのものだ、とイエスさまは言われたのです。 

 彼らは死の恐れ、目の前の危機しか見ていない。イエスさまが共におられるのに! なのです。

聖書全巻を通して、神さまが私たちに語り続けておられるのは、次のことです!

 

「わたしはあなたとともにいる!」

「わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない」

 

 私たちの神さまは、そういう神さまであるという事を忘れてはならないと思います。ですから、いつでも、何でも、イエスさまに頼る、助けを求める、ということは信仰の大切な一面でもあります。しかし、時と場合によっては、イエスさまに頼りつつも、主の助けを信じて、自分の出来ることは精いっぱい努力することも、信仰を持つ者の大切な姿勢でもあると思うのです。

「主が共にいてくださる信仰に励まされて、精一杯のことをする時、主は驚くべきことをしてくださるのです!」 

 

(3)イエスさまがご一緒だから

しかし、この時、弟子たちは

 

「イエスさまが一緒にいてくださるから大丈夫!」

 

という信仰は、恐ろしさのあまり、吹き飛ばされていました。このままでは死んでしまう、という恐怖が心を支配し、もう眠っておられるイエスさまを起こして、この嵐を鎮めて頂きたい、という思いしかなかった訳ですね。それが「あなたがたの信仰はどこにあるのです」とイエスさまが言われた意味だと思うのです。

 しかし、そんな弟子たちの不信仰な叫びに対して、イエスさまはすぐに起き上がって、風と荒波とをしかりつけられ、嵐を鎮めてくださいました。

 私たちの主は、私たちの不信仰ゆえに、愛想をつかして、もうお前たちみたいな不信仰な者とは一緒にいられない、と言って離れて行かれるような方ではないのです。 私たちがどんな状態になろうとも、イエスさまは私たちを「見放すことも、見捨てることもしない」神さまなのです。

 さらに、私がこの事態にどうしても耐えることができないなら、イエスさまが風と波を鎮めてくださる。そして、「お前の信仰はいったいどこに行ってしまったのか」と、諭してくださるのです。 ここに限りなく強く厳しく、しかし、同時に、限りないあわれみをもって私たちを愛してくださるイエスさまの姿を、見ることができるのです!

 私たちは信仰を持っていても、絶えず不信仰とのせめぎあいの中に生きています。時には、不信仰な言動をしてしまうことがあるでしょう。 しかし、どんな時にも忘れてはならないのは、自分の信仰は吹き飛ばされても、祈ることさえ忘れてしまっても、イエスさまだけはどこへも行かれないのです! これが私たちに与えられている信仰なのです。25後半

 

弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

 

これは弟子たちがイエスさまの言動にただ驚いて言った言葉ではありません。これは、信仰告白と見ることができます。「この方はどういう方なのだろう」とは、風や湖までもが言う事を聞く権威を持ったお方に対する畏れの心の現れなのです。

 

 私たちの人生は舟に乗って、向こう岸を目指して進んでいるようなものにたとえることができます。静かな凪で気持ち良く、思い通りに、順調に物事が運び、祝福されていると思える時期もあれば、今日の弟子たちのように、大波に揺られ、突風に飛ばされそうになり、信仰が揺らぎ、いくら祈っても答えがないように思える時、イエスさまが一緒にいて下さるはずなのに、どうしてこんな目に遭わなくてはならないのかと思う時もあるでしょう。 しかし、「イエスさまが一緒にいてくださるから大丈夫!」なのです。これが私たちに与えられた信仰です!

 たとえ、どんなに大きな嵐、試練が襲ってきて、人生という舟が揺れ出しても、主に信頼して、それを乗り切ることができる! と信じていく時に、主は不思議な方法をもって、乗り越えさせてくださるのです。この信仰をもって、これからも主を見上げて歩んで行きましょう。

                                        

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