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信じること 愛すること

執筆者の写真: 木村勉(ジョイチャペル牧師)木村勉(ジョイチャペル牧師)

2024/3/3 ヨハネの手紙第一3章18~24節 

 

 今年も2か月が過ぎました。聖書を読み続けていらっしゃいますか? それぞれの方が、聖書を通して、神の言葉に触れる、神の言葉に触れられる体験を沢山させて頂いて、神様からの恵みと祝福に満ちた歩みをして頂きたいと願っています。

 

(1)愛すること

 第一ヨハネの3章の中心的な内容は1節と23節、3章と言うよりも、第一ヨハネ全体の中心的な内容と言っても良いと思います。1節「私たちが神の子どもと呼ばれるために、―事実、いま私たちは神の子どもです―御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。」とあり、今回見る3章18と19節には「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。」とあります。

 18節の最後の「愛そうではありませんか」を多くの聖書では「愛し合おうではないか」となっています。ヨハネはここで、クリスチャン同士が愛し合うことの大切さを語るのです。まず神の愛をいただいた者が、麗しい愛の交わりを通して、愛と喜びに満たされて、そこから出て行き、日々の生活の中で、隣人を愛する歩みをさせて頂くのですよ、と勧めるのです。


(2)愛せない私たち

 しかし、そのあとに続く19節を読むと、今度は「そうだ、その通りだ」と単純にうなずき、納得できなくなるのです。どうしてでしょう?「それによって」とあるのは、18節の「ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛する」ことであり、また16節の最後の「私たちは、兄弟のために、いのちを捨てる」ことによって、なのです。自分の命を捨てるほどに兄弟を愛する、最も大切なものを、兄弟姉妹のために使うほどの愛を示すことによって、「自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです」と言うのです。どうですか皆さん? 「ことばや口先だけでなく、行いと真実をもって愛する」とのみ言葉によって「あなたは、どうなのですか?そのように生きていますか?」と問われたら・・・どのようにお答えになるでしょうか? 多くの人が、「はい、そのように生きています」とは言えないのではないでしょうか! そして、そういう自分であることを認める時、とても19節のようには言えない、そんな事,図々しいにもほどがある、と思ってしまうのです。 


(3)さらに大きな神の愛

 でも聖書は、人の弱さを自覚させるだけではないのです。・・・みなさん! 聖書は一部分だけ読んでも、神のみこころを正しく理解することはできません。時にはそういうこともありますが、通常は前後の関係、できれば歴史的背景などを考慮しながら読み進むのが、正しい聖書の読み方であろうと思います。18~20節はひとつのかたまりなので、19節で止まらないで、20節まで読み進めないといけないのです。「たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。」「自分の心が責めても」とあります。 私たちは自分の心に痛みを感じたり、罪責感にさいなまれたりすることがあります。とても真理に属する者とか、神のみ前に心安らかでいられるとか、そんな風に言えたものではないのです。 でも、この20節のみ言葉は何と慰めに満ちた言葉でしょうか! そのように自分の心が自分自身を責めたとしても、大丈夫!! なぜなら、神の心は大きく、限りなく寛容で、永遠の愛をもって私たちを愛してくださっているからなのです。あなたの、私の、すべてを、弱さも、失敗も、つまずきも、愛のなさも、罪深さも、みんな知っておられる!「いつくしみ深く、友なるイエスは、われらの弱きを知りてあわれむ」 だからこそ、イエスさまが来て十字架に架かり、私たちの身代わりとなって、私たちすべての罪を背負ってくださったことによって、罪赦され、神の子とされ、文字通り、「真理に属するもの」とされたのです。 このお方が私たちに、何を命じているのでしょう? 23節「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」

 神の命令を受け止め、主イエスさまを信じ、このお方からいただいた愛をもって互いに愛し合う歩みをしていく時、神様がすばらしいことをしてくださいます!これからも、聖霊の助けによって、信じ、愛し、希望をもって歩んでいきましょう! 

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