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主人の心を知るしもべ

更新日:2月9日

2026,2,8 ルカの福音書12章41-48節 

 

 今年の初めに教会として、ローマ人への手紙12章1節が与えられました。

 

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる,聖い、生きた供え物としてささげなさい。」

 

もう2月になってしまいましたが、ぜひ、この御言葉を暗唱してください。最低1日に1回は、口ずさんでください。 そして、私にとって、この御言葉はどんな意味があるのだろうか? 私に何を語りかけているのだろうか? どう受け取って、どんな態度で過ごしたらいいのだろうか? と、み言葉に向き合って、み言葉に深く思いを至らせてください。すると、そこから新たな悟りが与えられ、示されたことに従っていったら、今まで経験したことのない、さらに祝福された歩みへと導かれていきます。

 

 神様は、私たちを愛するがゆえに、ひとり子イエスさまをこの地上にお遣わしになり、私たちの罪を赦し、救ってくださり、聖め、神の子とし、永遠のいのちの希望を与えてくださいました。 そして、なんとエペソ人への手紙1章4-5節には

 

 神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

 

と書かれているのです! 理解を超えた内容で、常識では受け止めきれないことです。 でも、私たちは神さまが聖書を通して語っておられることなので、信じるのです!

 私たちは、神さまによって召された者、選ばれた者、一つ所に集められた者たちであり、それがエクレシアと呼ばれる教会なのだ、と先週もお語りしました。教会とは、もともとそういう意味なんですね。

 聖書は、このクリスチャンの集まりである、教会=エクレシアについて次のように語っています。エペソ1:23

 

教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

 

また、コリント人への手紙第一12章27節

 

 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

 

とあるように、教会はキリストのからだであり、一人ひとりはそのからだの各器官、各部分だと聖書はハッキリと語るのです。 自分が置かれたところで、精一杯,喜んで、自分ができることをしていく。自分の分を果たしていくということですね。 

 心臓は休むことなく体中に血液を送り続ける、胃は食べた物を受け入れて胃液と混ぜ合わせて小腸に送り、小腸は送られてきた食べ物を消化、吸収する・・・といったそれぞれの働きがあるわけです。心臓が、「俺は一生休まず血液を送り出す働きなんか、やってられないよ!」なんて言って、やめてしまったら、文字通り息の根が止まって、死んでしまいます。体のどの器官、どの臓器もそれぞれが与えられた働きをしなければ、体調を崩し、病になってしまうのです。それぞれの器官が自分に与えられた働きを、忠実に行っていくことが、からだ全体が健康でいられる秘訣なのです! 

 教会でも同じことが言えるわけですね。 礼拝の司会や奏楽、受付、あるいは送迎など、比較的目立つ奉仕もあれば、目立たない奉仕、たとえば日曜日以外に教会に来て、トイレ掃除や会堂掃除、夏の雑草取り、土曜日のカレー作り、その他いろいろありますが、それぞれが「これは神さまから自分に与えられた働き」だ、と受け止めて、感謝して奉仕をしているわけです。

 そこに、キリストのからだなる教会が、健康な体として、かしらであるキリストのみこころにかなった歩みをしていくことができる訳なのです!   

 

 私たちクリスチャンは、誰もが「神のみこころを知りたい」と思っているでしょう。どうすれば、みこころを知ることができるのでしょうか? それは、クリスチャンとしての基本的な歩みを忠実に継続していくこと以外にないのです。

みなさん、日々デボーションをなさっていますか? 「なんですかそれ?」。英語で「献身」という意味ですが、教会ではもう少し狭い意味で使い、「日々聖書を読み、祈り、神と交わること」を指します。 毎朝、聖書を読んで、祈り、神さまに心を向けて、1日を始める。そういう習慣を身に着けることが非常に大切であり、祝福を頂く秘訣なのです。 

 昨年、聖書通読をお薦めしましたが、今年はたくさん読む、というよりは、深く読むことをお薦めしたい。「今読んだ聖書は何が書いてあって、何を教えているのか、自分には何を語っているのか、自分はどう反応すべきなのか、何か行動を起こすべきなのか」等々、一度、読み進めることをストップして、思いを巡らせ、じっくりみ言葉に浸る、どうぞ、そんなことを、チャレンジしてみてくだい。       

 

 さて、今日の聖書箇所を見ていきましょう。ルカ12:41

 

  そこで、ペテロが言った。「主よ。このたとえは私たちのために話してくださるのですか。それともみなのためなのですか。」

 

「このたとえ」とは何かというと、40節で語られたこと、

 

 あなたがたも用心していなさい。人の子は、思いがけない時に来るのですから。

 

おわかりだと思いますが、再臨についてのイエスさまのたとえであり、警告なのです。

 神さまが今、私たちに必要なメッセージは、再臨を聖書に基づいて、きちんと理解して、だから、今をどう生きていくべきかを、はっきりと示しておられるのだと思います。

 何が語られているのか?

 

 「それは主の再臨を、どのような態度で待つべきか」

 

なのです。

 イエスさまは「忠実な賢い管理者」と「不忠実なしもべ」の姿として語られました。

 「忠実な賢い管理者」はなぜ、主人にそう呼ばれたのでしょう。

 

◎主人の指示に忠実に従い、その通りに行なった(主人がいつ帰って来ても大丈夫)

 ・主人から任された、彼の下で働くしもべたちに的確な指示を出していた

 ・任されたしもべたちに、しっかりと食事を与えた(不平・不満はなかった)

⇒主人の全幅の信頼を得て、全財産を任せられる

 

みなさん、私たちも神様から、任されているものがあります! それは、神の子として、神の言葉に忠実に従い、語られたとおりに行なうことです。

 くり返しになりますが、だから、日々デボーションを通して、神の語りかけを頂かなければならないのです。

 「不忠実なしもべ」はどうだったのでしょう

 

◎主人の帰りはまだだと考え、主人の指示に従わず、思いのままに過ごした

 ・下男下女を打ちたたき、自分たちが食べたり飲んだり、酒に酔い始める

⇒主人が思わぬ日、思わぬ時間に帰り、厳しく罰せられる

 

今日のイエスさまたとえの話の結論は、47-48節です。

 

  主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。

 

47節は、こわいですね。でもこれは、再臨を待つすべてのクリスチャンに対する励ましです。

 私たちは主の思い通りに、キリストのからだの各器官として、与えられたものをもって、喜んで、主に仕えています。神さまはその心を喜んでくださり、一歩進んで、心だけでなく、私たち自身をささげて、主に仕えていくことを喜んでくださるのです。

 「多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」とありますが、私たちは神さまからたくさんのものを与えられていますね!

・・・「それほどたくさん与えられていませんけど」と思いますか? 

 今、あなたが持っている物は、全て神さまが与えてくださった物ではないでしょうか。 それを心から感謝して、主を賛美する、いつも主を喜び、賛美し、感謝していることを、主は求めておられるのではないでしょうか!

 どんなに多くのものを、神さまから与えられていることか! と分かったら・・・私たちも喜びをもって、主にささげていくことができるのではないでしょうか! 主は私たちに対して

 

 「よくやった、良い忠実なしもべだ。主人の喜びをともに喜んでくれ。」

 

と言ってくださるのです! 再臨の主を待ち望みながら、感謝と喜びをもって、主に仕えていきましょう。   

 
 

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