主に感謝せよ
- 木村勉(ジョイチャペル牧師)
- 2024年12月29日
- 読了時間: 6分
更新日:2024年12月30日
2024.12.29 詩篇107篇1~9節
いよいよ今年最後の礼拝を迎えました。 2024も今日を入れてあと3日! 新年を迎える準備はできていますか? 私は、ほとんど出来ていないのですが。
そんな中ではありますが、主の日の朝、こうしていつも通り礼拝を守ることができて感謝です!
今日は「年末感謝礼拝」、みなさんと一緒に聖書を読み、賛美し、祈り、そして、毎年恒例のようになっている、神様にただただ、この1年の感謝をささげる礼拝としたい!
この1年を振り返って、神様に具体的な感謝をささげるときとしたい!
そうは言っても、この一年、現実的には、辛い、困った、苦しい、行き詰まった、「えっ!なんで? どうして?」と、そういう経験をした方もいらっしゃることでしょう。体の不調、不安を感じた方、病院のお世話になった方、ずーっと祈っているのに、なかなか病から解放されない方も。 いいことばかりなんかじゃ、ありませんでしたよ、という方もおられるでしょう。 自分の歩み、内側を振り返ってみたら、感謝よりも愚痴や不満の方が多かった、という人もいるでしょう。
でも、今日!もう一度このみことばに心を向けたいと思います。テサロニケ人への第一の手紙5章18節
すべての事について、感謝しなさい。
今年、何回このみことばを読み、口にしたことでしょう。そして、私たちはこのあとに続く18節の言葉を忘れてはならないと思うのです。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
すべての事について感謝することは、イエスさまが私たちに対して、望んでおられることだ、と聖書は語るのです。 すべての事について感謝することは、「主のみこころ なのです!」
詩篇103篇1-2節には、次のようにあります。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
今年の初めに教会に与えられたみ言葉は、詩篇1篇2-3節でした。
主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。
聖書の言葉を、喜び、常に口に出して言う。み言葉が、体に浸透していく感覚! そういう歩みをしていったら、神さまの時が来たら、豊かな実を結ぶ、神さまがその人の歩み、すべてを栄えさせてくださる、祝福してくださる、との神の約束の言葉です! クリスチャンであるなら、こういう歩みをさせて頂きたいですね。
また、3月には能登半島復興支援チャリティーバザーを開催し収益金全額を、支援金として送ることができました。 使徒の働き20章35節
「受けるよりも与える方が幸いである。」
労し、献げる恵みにあずからせて頂いたことは、教会にとって大きな「幸い」なことでした。
また今年は、4/14の「子どもお楽しみ会」から、続けて導かれている子どもたちが10名以上います。何と感謝なことでしょうか! ルカの福音書18章16節でイエスさまはこう言っておられます。
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」
様々な背景の子どもたちが送られてきていますが、神さまが送ってくださっているとの信仰を持って、教会として、子どもたちのために祈っていかねば、と思わされてます。
今年の夏は7月に、子どもたちが思いっきり楽しめるジョイフルワンデイを行ない、8月にはコロナ禍以来、久しぶりにバイブルキャンプを開催し、楽しく、有意義な時が持てて、本当に感謝でした。 詩篇133篇1節
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
この聖書の言葉を体験させて頂きました。
個人的には、神さまの大きなあわれみと、みなさんの祈りと愛に支えられて、元気に御用ができたことは、何にも勝って、感謝なことでした! 体調が悪くて寝込むことなどなく、痛みで動けないということもなく、喜んでご用ができたことは、何よりの感謝でした。
謙遜ではなく、本当に足りない、欠けだらけ牧師であるなぁ、と自分自身本当に思うわけですけれども、詩篇103篇8節に
主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
とあるように、牧師として労させて頂けるのは、まさに、主のあわれみ以外の何ものでもないと思っています。私に対する、主のあわれみの言葉は、ヨハネの福音書15章16節
あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
そしてもう一つ、コリント人への手紙第一1章27-28節
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわり、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
このみ言葉の前に、「そうですね、そのような者である私を、あえて、お選びくださったのですね」と受けとめて、そういう者であることを自覚しつつ、出来ることを精一杯させて頂こうと思っています!
私は今日、みなさんに心からの感謝をお伝えしたい! 足りない牧師ですが、みなさんの愛と祈りに支えられて、この1年も精一杯、牧師としての働きをさせて頂きました。神さまの助けの中で、喜んで聖書の言葉を語ることができました。
クリスチャンすべての者が目指す歩み、願う歩みは、神の御心にかなった歩みです!
今年を振り返って、私自身、神の御心にかなった歩みができたかな? と思わされている所です。
最後に、最も大切な愛の言葉、 コロサイ人への手紙3章14節
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
もう一つ、ヨハネの手紙第一3章18節を読んで、終わります。
子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、
行いと真実をもって愛そうではありませんか。
この一年、主の愛に包まれて、導かれたことを心から主に感謝します!
私たちが救われ、祝福されているのは、周りの人に救いが、祝福がもたらされるため! 周りの人を愛し、そして愛を、幸いを、与えるためです。そのために神の愛を、豊かに注いでください! と祈っていきましょう。
新しい年、祈りを通して、聖霊の助けによって、神の語りかけに、従順して、御心にかなった歩みをさせて頂きましょう。