クリスマスの奇跡
- 木村勉(ジョイチャペル牧師)
- 2024年12月8日
- 読了時間: 7分
2024.12.8 ルカの福音書2章8-12節
(1)神が人となって
聖書の中には、たくさんの奇跡を見ることができます。聖書の中心テーマである神の愛! それはクリスマスの出来事に示されているといっても過言ではありません。クリスマスそのものが神の奇跡なわけです。今日は、そのクリスマスの奇跡は、どのようなものなのかを、見ていきたいと思います。
クリスマスの奇跡の第一番目。
それは神が人となって地上に来られたということなのです。神が人となったんです! みなさん、ちょっと考えてみてください。神が人となる、ということは、たとえてみると、人間がアリとか、ゴキブリ、ミミズになるようなもの。誰だってそんなものにはなりたくないでしょう。 でも、「神が人となる」ということは、それよりももっと考えられないことなのです。
イエス・キリストは神なんです。しかし、多くの日本人というか、世界の人が「そんなこと信じられるか」と思っているかもしれません。多くの人は、神と言うと、目に見えないから、漠然とした、わけが分からないというか、そんなイメージかもしれません。目に見えないので、目に見える神であって欲しいと思って、人間が木や金属で神を作り、それに向かって拝むことをしているのです。普段、信仰心のない人でも、お祈りしたり、お願いしたりしますよね。 クリスマスの時には教会に来て、お正月になると初詣に神社に行って、お盆にはお寺に行って、などと神や仏にお祈りするんです。聞いてるのか、聞いてないのか、聞いてくださってると思って、お祈りしてると思いますが、日本人って案外、漠然としてるんですね。
でもみなさん、聖書は神が人となって地上に生まれた、と語るのです! どういう意味でしょう。それは神様が見えるお方となって、分かるようにしてくださるために、来てくださったということなのです。 本当に神がいるならば見せて欲しい、と言ったことある人、いらっしゃるんじゃないですか。見せてくださったんです。神が人となって生まれてきてくださって!
2000年間、教会がクリスマスをお祝いしているのは、どうしてですか。
私たちが、毎年お祝いしているクリスマスは、神が人となって この地上に来てくださったからなのです。 なんで人となる必要があったんでしょう。それは私たちと同じ経験をするためなんです。
今日、さっき読んでもらった聖書の箇所に、馬小屋で飼い葉おけに寝かせられた、と書いてあります。貧しさを経験したんでしょう。赤ちゃんですから、自覚はできなかったでしょうが、成長していく過程で、貧しさの中で、いろんな苦しみを、辛さを、悲しみを、経験したことでしょう。マリアは途中からシングルマザーになったであろうと言われますけれど、そういう経験もされ、最後は十字架で死ぬわけです。馬鹿にされて、神だったらそんな経験いらないでしょう。「私は 神だ」、と言えばいいじゃないですか。 でも、この地上に来てくださったのは、神様が私たちのことを理解してくださるため。 なんだか、わけのわからない存在ではなくて、本当に 私たちの痛みを、悲しみを、同じように体験してくださる、痛みのわかる神様がいてくださる、ということが一番目のクリスマスの奇跡なのです。
(2)あなたのために
二番目は、キリストが、あなたのために生まれてくださった、ということです。私たちひとり、ひとりのためにキリストが生まれてくださったのです!
今日の聖書の言葉に、こう書いてありました。
「この民全体のための素晴らしい知らせ」
「民全体のため」とは、「すべての人のため」ということです。すべての人ですから、ここにいるみなさんも、もちろん含んでいるんです。
みなさん、人生のターニングポイントがありますか。人生の、ああこの時が自分の人生を変えてくれた。 この教会に来たことかもしれません。また聖書を読んだ時かもしれません。誰かと出会った時かもしれません。クリスマスは、単なるお祭りやイベントではないのです。神があなたのために来てくださった日なのです。人が神のところに行って、祈ったり願ったりするのではなく、神の方から私たちのところに近づいて来てくださって、いつも一緒にいてくださるというのです。これこそが、クリスマスの奇跡なのです。
(3)すべての人のために
そして、三番目の奇跡は、キリストはすべての人のためにこの地上に来てくださったということです。 特に辛い、悲しい、痛みを抱えたまま、暗闇の中にいる人の光となるために生まれてくださったのです。すべての人のためなんです。とりわけ、人生で辛い思いをして、悲しい思いをして、裏切られたり、病気をしたり、子育てで苦労したり、失業したり、突然の離別を体験したり、苦労して生きている人にこそ、希望の光となるために、キリストは生まれてくださったのです。 ヨハネ福音書1章5節、
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
暗闇の中に光がともされる、キャンドルは、キリストが、この暗闇の世界に光を放ってくださる、キリストそのものの象徴なのです。
あるクリスチャンが、人間関係で非常に苦労したそうです。辛い思いをして、こいつだけは絶対に赦せない。こいつは赦せないという、辛い経験をして、暗闇に心が覆われてしまうようなことがあったそうです。その時、この人は、自分の先輩クリスチャンのところに行ったそうです。先輩のクリスチャンのところに行って話しました。「聞いてください、こんなことされたんですよ、こんな辛いことがあったんです。僕、絶対に赦せません。」と。するとその先輩は「なあ、イエス様は、お前になんて言ってると思う」と言ってくれたそうです。そう言われたので、この人は考えました。赦せないものは、赦せない、と思いつつも、相談しているっていうことは、本当はそうであるべきでないと思ってるから、相談してるんだろうなと思って、「先輩、イエス様は、あの人を赦しなさい、と言ってるんじゃないかなって、思います」、とそう言ったそうです。すると先輩が、彼をまじまじと見つめてこう言いました。「本当にそうか、本当にそう言ってると思うか、俺はそう言ってるとは思わないぞ。もう一度よく考えて、お祈りしてみろ。」 そして彼は、イエス様の姿を思い浮かべながら祈りました。 十字架上でイエス・キリストが言われた言葉を思い出した時に、彼は気づきました。
「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
(ルカの福音書23勝34節)
これが彼の気づいた言葉です。 「先輩わかりました。イエス様はあいつを赦せと、いうのではなくて、人を赦すことのできない、あなたを赦しているよ。あなたを赦します。と言ってくださっていることに気づきました。」と、涙を流して語ったそうです。
誰かを責めたり、人を赦せないとか、そういう暗闇を誰もがどこかで体験していらっしゃるのではないでしょうか。 絶対に赦せない人がいる。もしかして、自分を赦せないで生きている人だって、いらっしゃるかもしれません。 なんで、あんなことをしてしまったのか、なんであんなことを言ってしまったのか・・・、後悔を抱えて生きていく、そんな私たちのために、私たちを赦してくださるために、イエス・キリストが生まれてくださったのです。 ルカの福音書2章11節
「今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」
なんで救い主が必要なんでしょう。 それは私たちの心の闇、罪を背負い続けてる、この重荷から私たちを救うためなのです! 今日、心に闇があったら、光を灯していただこうではありませんか。
人間にとって一番大きな暗闇は死です。誰もがいつかは死を迎えます。でも 永遠の光なる方が、誰も奪うことのできない、平安と喜びを与えてくださる、それがクリスマスです。 ヨハネの福音書3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
イエス・キリストは、あなたの人生に奇跡を起こしてくださり、最大の奇跡である、永遠の命を与えてくださるお方なのです。