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イエスがキリストであると信じる者

2024.5.5 ヨハネの手紙第一5章1~2節 


(1)「信じる」ことの意味

 神は、私たちを愛して、恵みと祝福を与えてくださり、不思議なように導いてくださる。私たちのすべての歩みの中で、主は最善をしてくださっている! こう受け取ることが、私たちの信仰の大切な一面です。

 「信じる」ということは、現段階ですべてのことの意味が分からなくても、最終的に神が私たちを愛して、生かして用いてくださり、やがてはそれらすべての意味をはっきりと示してくださる。それが、神を信じるということなのです。病のために一生ベッドで過ごさねばならない人であっても、重度の障害を抱えて、人のお世話にならなければ生きていけない人も、すべての人には、神から与えられた「特別な生きる意味」があるのです。「こんな人生に何の意味があるのだ」と思ってしまうことがあるかもしれないけれど、そうではないのです! 受験に失敗したり、事業に失敗したり、目の前が真っ暗になるような経験をしたとしても、それを引きずって歩む必要はないのです! 過去の傷や痛みが残るにしても、神はその傷や痛みをそのまま意味のないものとして終わらせてしまうようなお方ではないのです! 「神を愛する者のためには、すべてのことを益としてくださる神」は、それらのことを、神の豊かな憐れみと祝福を知る、恵みの手段へと変えていってくださるのです!

 今日の聖書箇所、1ヨハネ5章1節には「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。」とあります。

 私たちは、たくさんの選択肢の中から、自分で決断をして信仰を持ったのではありません!「神によって生まれた」ということは、信じて救われたときに、主導権を握ったのは、私たちではなく神だ! ということなのです。私たちは神の御計画の中で導かれ、神によって生まれた、と聖書ははっきり語るのです! エペソ人への手紙1章4-5節には、こうあります。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」 ・・・もし、信仰が、自分で決めた信念であるなら、何か問題が起きたり、嫌な思いをしたり、自分を惑わす誘惑にあったりすると、信仰をやめてしまう可能性が高いでしょう。自分で決めたのだから、自分でやめる、ということになるのです。 しかし、信仰―キリストの十字架による救いを信じるーとは、自分で決めた信念などではないのです。 エペソ2章8節「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。」とあり「神からの賜物」、贈り物なのです。さらに、ローマ人への手紙8章38-39節で「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。」とパウロは確信をもって語るのです。 時には、心が揺れ動いたり、また、聖書の言葉がよくわからなくなることがあるかもしれません。しかし、私たちは神の恵みから漏れることは決してないのです! 自分で握りしめている救いならば、いつか疲れて手を離してしまうでしょう。しかし、天地をお造りになった全能の神が、私たちを捕えていてくださるので、決してこの恵みから漏れることはないのです!  


(2)「神によって生まれた」

 それぞれの方がみんな違った生まれ方―救われ方をしてきました。 必ずしも劇的な変化を経験していないかもしれません。しかし、確実に、それが神からのものであると知るようになります。神が、私たちのうちに住んでくださり、導いてくださるので、神の力を知るようになるからです。新しく生まれたことを実感するのです。「神によって生まれた」ということは、同じ父を持ち、その父なる神の性質を受け継ぐということです。今まで持ったことのなかった、全く新しい性質です。2コリント5章17節に「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と語られている通りです!  自分のうちに、今までとは全く違ういのちが流れていることを自覚します。不思議に、自分の願うことも、自分の人生の目標も、好みも、価値観も変わっていきます。 それは実に不思議な体験です。今まで握ってきた、この世のあらゆるものをつまらないものと思うようになり、様々なことを霊的に考えるように導かれていきます。神を中心にして、神の視点から考えるようになる、ということです。今までよくわからなかった、聖書の言葉を理解するようになり、その言葉や教えを喜ぶようになります。聖書の言葉のすばらしさを味わい、マタイの福音書4章4節にあるように「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」」という意味を自覚するようになるのです。

 最後にもう一度、みなさんにお願いしたい。神がどんなに私たちを愛してくださっているかを、聖書を通して受け取って頂きたい。そして、神に愛されている者として「受けるよりも与える方が幸いである」との聖書の言葉を実践していただきたいのです。 何より、最も身近な家族に愛を示して頂きたい! そこから神の愛が広がり、流れ出て、あふれていくのです。

 
 

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