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もう一年、もう一年の愛の神

更新日:4 日前

2026.4.12 ルカの福音書13章6-9節


 イエスさまは、よくたとえを用いてお語りになりました。 

 みなさんは、イエスさまのどんなたとえ話が思い浮かびますか?

 ルカ15章には、「100匹のうちの迷子の1匹」「10枚の銀貨のうちのなくした1枚」「放蕩息子」と3つのたとえ話が続きます。

 ほとんどのたとえ話は、イエスさまがその直前に教えられた大切なことを受けて、それを当時の人たちや弟子たちの理解を助け、「そういう事なのか」と受け止められるために語られたのです。たとえば、ルカ15章では、イエスさまが罪人たちと一緒に食事をしていることへの批判に対して語ったものでした。ルカ10章の「良きサマリヤ人たとえ」の時は、律法学者が「私の隣人とはだれのことですか」に対して、また18章の「パリサイ人と取税人の祈りのたとえ」は自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対して語られたわけです。

 

 今日のたとえの直前は「悔改めねば、滅びる」との宣言の後に語られたものでした。

「最後の執り成し 」「実を結ばない者さえあきらめない主」と題しても良い内容のたとえ話です。6節から見ていきましょう。

 

  イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。

 

ぶどう園に、いちじくを植える? でも、これはごく普通のことでした。7節

 

  そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』

 

いちじくの木は3年たっても実を結ばないのはおかしなことで、この場合は絶望的と言えます。旧約聖書の中には、イスラエルがぶどうの木であるとか、いちじくの木であるとかとたとえられています。ぶどう園にあるいちじくの木は、イスラエルの民を示しています。そして、神に選ばれた彼らが、主に忠実に従うことにより、神の栄光を表すことを神は望んでおられたのです。それこそが、このたとえで語られている「実を結ぶこと」だったのです。

 

 主人はぶどう園を番人に任せて、収穫を期待していました。しかし、三年経っても、実を結ばない、

 

 「こんな木は切り倒してしまえ、場所ふさぎだ」と主人が言います。

実らない木は、無駄な存在以上に、マイナスな存在、存在自体が災いであり、罪人の姿!

 

 実を結ばなければ無駄なだけでなく、土地の養分を吸い上げ葉ばかり立派にして、他の果樹の栄養分を奪ってしまう存在でしかないのです。 倒産しかかっている事業を継続することは、負債が負債を産んで、マイナスばかりを大きくしていくだけなのと同じです。

 

 3年間と言うのは、イエス様が、約三年間、すでに宣教活動をされていることを示しているのでしょう。 主が宣教を始められて三年が経つのに、多くのユダヤ人は悔い改め、主を信じ、それにともなう実が結ばれていない。それで切り倒すと主人は言うのです。

 神様は、どうしようもないイスラエルの民を滅ぼしてしまおうとまで思われた! 実際に出エジプト記32章には、奴隷の地エジプトから導き出された民が、モーセがシナイ山に登り、主と語り合っていて、なかなか降りてこないことに不安を抱き、アロンに神を造ってくださいと願い、金の子牛を造ってその前で拝み、たわむれた、と言う出来事が書かれています。そこで主は、出エジプト記32章10節で

 

 わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がって、わたしが彼らを絶ち滅ぼす

 

とモーセに語るのです! それに対してモーセは32章32節で

 

  今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら—。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」

 

「あなたの書物」とは何でしょう? おそらく、これは黙示録の中に何度も出てくる「いのちの書」=「天国の国籍簿」のことでしょう。そこから自分の名が消されても構いません、と言うことは天国に行けなくなっても構いませんから、この民の罪を赦してください。そう言っているのです。新約のパウロも同じような思いを語っています。ローマ人への手紙9章3節

 

「私の同胞・・・のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい」

 

モーセもパウロも、自らが犠牲になってまで、同胞の罪を赦し、救って頂きたいと訴えたのです。なんという愛でしょうか!

 

では、園の番人は何と言っているのでしょう? ルカ13:8

 

『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。』

 

この番人はイエスさまです!「ですから、もう1年待ってください。それでもだめなら、もう1年待ってください。」 何とかしますから!「木の回りを掘って、肥やしをやりますから」 

どういうことですか? 十字架に架かって罪人のために、血を流し、贖いをします! 命を捨てます! という意味です。

 

眠っているような、クリスチャンの目をさますために、これまで以上に、聖書と真剣に向き合うように、聖霊を豊かに注ぎますから、・・・と言ってくださっているのではないでしょうか!

 

イエスさまは、人々の救いを、クリチャンの成長を、愛をもって、忍耐をもって寄り添い、待っていてくださるのです。 ペテロ第二の手紙3章9節

 

あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 

神は一人でも滅びることを望まず、悔い改めることを望まれています。神は忍耐深い方です。 主はあきらめずに手を差し伸べ続けておられるのです。

 また、イエスさまは、クリスチャンが実を結ぶために、重要なことを簡潔にお語りになりました。 ヨハネの福音書15:5

 

  わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

 

キリストに中にとどまっているなら、どんな実を結ばせてくださるのでしょうか? ガラテヤ人への手紙5:22-23

 

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。

 

これらの実を結ぶことができるように、み言葉を語り、聖霊を遣わし、様々な試練を通し、また恵みと祝福を注いで、成長させようとしてくださっているのです。これが、イエス様の心です。

 

 私たちは、悔改めるべきことは、ハッキリと悔い改め、このイエスさまの愛と恵みに心から感謝して、愛するイエスさまに喜びをもって仕えていきましょう。

 
 

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