2024.5.19 ヨハネの福音書14章15-21節
(1)もうひとりの助け主
今日はペンテコステ。キリスト教会ではクリスマス、イースターと並んで、とても重要な日です。「聖霊降臨日」とも言われます。聖霊なる神が降って来られた、ということなのですが、「聖霊なる神さま?」あまりよくわからない、という方もおられるでしょう。今日の聖書箇所から、改めて教えられたいと思います。
イエスさまは14章16節で聖霊について語っておられます。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」 この聖霊のことを聖書は「もうひとりの助け主」と呼びます。この助け主の元々の意味は、「かたわらに呼ばれた者」であり、言ってみれば、法廷ではっきりと弁護してくれる弁護士のような力強い、頼りになる存在なのです。私のそばで私を弁護し、私を導き、私を励まし、私を慰めてくださる、そのようなお方なのです。イエスさまご自身が助け主なのですが、聖霊は「もうひとりの助け主」なのです。 そして、この助け主は、「いつまでもあなたがたとともにおられる」お方! ナント、もうひとりの助け主、聖霊は、「信じる者の心の中に来て、住んでくださる」というのです。聖書の中でこれほど驚くべき言葉はありません。
(2)聖霊の働き
また、聖霊は、「真理の御霊です」(14:17)とあります。イエスさまはご自身が「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(14:6)と言われました。真理の御霊である聖霊は、真理そのものであるイエスさまを照らし、イエスさまのすばらしさを私たちに明らかにし、イエスさまについての理解を深めさせてくださる、それが、聖霊の働きなのです。14:26にある通り「しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」
3年半の間、弟子たちはイエスさまとともに過ごしながら、イエスさまから聞いても、聞いても理解できなかった。聖書がわからない、イエスさまのことがわからない。 でも、聖霊が臨んだ時、弟子たちは、目が開かれて、また、忘れていたことを思い出して、聖書全体を理解することができたのです。そして、ペテロが、ペンテコステの日に堂々たる説教をして、3000人が救われるという神のわざが起こされたのです。
聖霊は信じる人たちの心の中に住んでくださるのです。聖霊が内に住んでおられるということは、キリストが住んでおられるのと同じことだ! とコロサイ1:27は語ります。「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」 奥義、それは何かといえば、キリストがあなたがたのうちにいますよ、という事。あなたがたのうちにいますキリスト、これは、奥義! 常識では理解できないけれども、最も大切な、深い、神の世界であり、大きな祝福なのです。
(3)孤独からの解放
キリストは、すべての人に呼びかけておられます! 「 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20) 神は、あなたの心の扉を叩いているのです。「あなたに私が必要ではないですか!弱っている人、悩んでいる人、寂しい人、あなたのうちに私を迎えなさい。」と。 私たちの心の扉は内側にしか取っ手がないのです。あなたが心のドアを開けて、「どうぞお入りください」と迎えれば、神ご自身が心に入ってくださるのです!
マザー・テレサはこんなことを言いました。「人間にとって最大の悲惨は、自分はもはや誰からも必要とされていないと感じることです。それこそが、人間にとって最もむごい、寂しい、つらい事です」と。 あなたはもう必要でない。そう受け取った時、人は生きる意味を、気力を失います。
イエスさまは、そんな孤独な心の扉を叩いているのです。「私はあなたを愛しています、私はあなたと共に住むのです」 そんな愛の言葉をもって、心の扉を叩いていらっしゃるのです。
心の中にキリストを迎えるとは「心の王座に座って頂く」ということ、私たちがキリストを信じる、それは、「イエスを主と告白する」こと! 主とは、「主人!」「王様!」 私は、その足元に座る、ということを意味します。
私は、心の中にキリストをお迎えして、心の王座に座って頂きました。ところが、気が付くと自分が王座に座っていることが何度もあったのです。そんな私の心の中にも、イエスさまがいつもいてくださるのです。ですから、何かあると、すぐにイエスさまに相談するのです。瞬間的に、「イエスさま!どうしたらいいですか?」「どう答えたらいいですか?」「どういう言葉が今必要ですか?」 時に、それをしないために、人を傷つけてしまうことがある訳です。しかし、助けが必要な時はすぐに、「イエスさま、助けて!」「イエスさま、今知恵を与えてください」 心の中にイエスさまがおられるので、そのイエスさまに、いつも語りかけることができるのです。 皆さん、これは何という幸いな、心の中の驚くべき世界ではないでしょうか。
問題は、王座に座って頂いているか、どうかです。「イエスさま、必要な時まで、呼ぶ時まで、どうぞ別室にいて、勝手に出てこないでください。私は自由にやります。でも、必要な時は、すぐ来てくださいね。」 私たちは時として、イエスさまにそんな態度をとっていないでしょうか?
イエスさまは、聖霊によって、助け主・最高の弁護士として来てくださり、信じる者の内に住んでくださり、いつまでも共にいてくださり、どんなことがあっても、決して私たちを見捨てないお方なのです! このことを、心から喜び、感謝し、このお方の愛に感動をもって、お応えしていきましょう。