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執筆者の写真木村勉(ジョイチャペル牧師)

みことばを悟る人は実を結ぶ

2024.10.20 ルカの福音書8章4-15節

 

(1)4つの種のたとえ話

 今日の箇所は、イエスさまのたとえ話の中でも、超有名な「4つの種」の話です。この「4つの種」の話は子どもでもよくわかる話である上、イエスさまご自身がたとえの意味をはっきりと説明してくださっているので、何も付け加えることはありません。

 4つの種が、それぞれ道端、岩の上、茨の中、良い地に落ちました。初めの3つの種は、どれも大きくなって実をつけることができませんでした。けれども良い地に落ちた種は、順調に成長して100倍の実を結んだのです。そしてイエスさまはこのたとえの意味を弟子たちに教えるのです。

 種は「神のことば」そして4種類の土地は、その神の言葉を聞いた人のことを示しているのです。 聞いても自分には全く関係ないと思って無視する人。聞いた時は喜んで受け入れるけれども、思い通りにならないと「やーめた」と言ってしまう人。また、聞いてしばらくは信じて歩んでいたけれど、日々の生活や心配事、楽しみに心を奪われて信仰生活が妨げられてしまう人。しかし、神の言葉を聞いて、それを素直に受け入れ、語られた通りに歩んで行く人は祝福される! 今日の聖書の内容は、以上であり、結論は、15節。

 

しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。

 

(2)悟る人が実を結ぶ 

このたとえ話は、マタイ、マルコの福音書にもあります。それぞれの結論部分だけ見てみましょう。

 

マタイ13:23 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のこと

マルコ4:20  良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ

 

今日は、マタイの「みことばを聞いてそれを悟る人」と言う言葉に注目したい。岡野俊之先生が著された「悟ると実を結ぶ」という書物があります。この本から私が受け取った、神さまから教えられたことを、分かち合いたいと思います。

 イエスさまが種まきのたとえで、豊かに実を結ぶのは、「良い地」にまかれた種だと語られました。 では、良い地とは何かというと、みことばを「悟る人」とあります。 みことばを「読んだ、聞いた、知った」というだけでは、実を結ぶことはできないのです。しかし、イエスさまによれば、聞いたみことばを悟ると、だれでも豊かに実を結ぶことができる、と言うのです。 「聖書がどう教えているか」これが全てなのです。

 聖書の教え中で、最も大切で、素晴らしい悟りは、<神の子キリストが、私たちの罪を赦すために十字架に架かってくださった>「福音」です。親は福音を悟ると、子どもをありのまま愛するようになります。親子の関係が回復し「うるわしい親子の関係」に変えられます。夫婦は、福音を悟ると、互いにありのまま愛し合うようになり、誰よりも幸せな夫婦になれます。 福音を悟った人は、自分に罪を犯す人を赦すことができます。人を赦さない人、赦せない人に必要なのは、「福音を悟る」ことなのです。

 頭で知っていても、人を赦すことはできませんが、悟ると、赦せるようになります。実を結ぶのです。 牧師が、福音を悟ると、教会は居心地の良い場所となります。人々が集まって来る教会となるのです。 福音を悟るというのは、大きな祝福であり、みんなが幸せになるのです。  

聖書によれば、実を結ぶかどうかは、能力や頑張りの問題ではなく、悟りなのです。福音は「赦し」であり、「憐れみ」であり、「恵み」です。

 福音の反対は「律法主義」であり「裁き」です。誰でも人を裁くと、霊的に低下します。赦さないと、祝福を止めてしまいます。人はみな罪人です。完全な人は、いないのです。ですから、赦すことが人間関係の回復となるのです。

私は妻を傷つけることをしてしまうと、神さまに悔い改め、妻にも謝らねばなりません。すると、妻は赦してくれて、関係が回復します。妻が私を赦さないと言ったことはありません。 

マタイ18:22-23

 

 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、

何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」イエスは言われた。「七度まで、

などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。

 

私たちクリスチャンが、互いに赦し合えるのは、人柄がいいからではなく、福音のゆえです。感情をコントロールできる人、人柄の良さが、回復をもたらすのではないのです! 福音がもたらす 愛と赦しが、関係を回復させるのです。 聖書は、赦しなさいと命じていますが、私たち人間には、人を赦すことはできないのです。しかし、福音を悟ると、赦すことができ、回復が訪れます。人の真面目さとか、努力によるのではなく、「悟り」によるのです。恵みなのです。

 クリスチャンは福音を悟ると、「自分はダメな人間だ」と、自分を見つめて落ち込むことがなくなります。どのような状況に陥っても、こんな私でも神に愛されているという確信があるからです。   

ローマ8:33-34

 

 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。

罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方である

キリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしてくださるのです。

 

自分を見て落ち込む人は、自分がダメな人間だからではありません。神さまがこんな私をも愛してくださっているという福音を、悟れないのです。

 頭だけ、知識だけの理解では、自分を見ると落ち込んでしまうのです。同じように、誰かを批判し、裁く人は、福音を悟れないのです。福音を悟った人は、批判するのではなく、その人の回復を祈ります。赦すことができ、愛することができるからです。

 ですから、誰かを赦せなくて苦しんでいる人に「赦しなさい」とストレートに言うのは、正しい事ではありますが、それよりも、赦せるように祈ってあげる、それが愛なのです。 

赦せると、祝福が溢れ、必ず幸せになっていけるのです。     

 

(3)「悟る」ためには

 では、どうしたら、聖書の真理を悟ることができるのでしょうか?

 悟りは、聖書の真理を、ただ信じることによって与えられます! 聖書のみことばを信じて、受け取るだけでいいのです。  聖書のみことばは、従うと、悟れます。 

 「ただみことばに従うことによって、祝福され、多くの実を結ぶ」と言う聖書の教えを悟るには、ただ、真っすぐ従うことです。従うと祝福されるのです。

 福音を悟らされた人たちは幸いです。律法から自由にされ、進んでみことばを守り、進んで他の人を愛することができるからです。それは、この世にはないものなので、学校でも、職場でも、自分がクリスチャンであることを言わなくても、周りの人たちは、私たちがクリスチャンであることがわかるのです。

 みことばを悟ると、クリスチャンは、学校や職場に誰かを愛するために出かけて行くようになります。仕事をしにだけ会社に行くのなら、神さまを知らない人たちでもそうしています。 クリスチャンは、仕事をしに行くのはもちろんですが、上司や、部下や、同僚を愛するために会社に行くのです。これが、みことばを悟って生き方の変えられた人、愛の人に変えられたイエス・キリストの弟子なのです。

 聖書は、いくら読んでも、どれだけ学んでも、悟り尽すことはできません。聖書のすべてを悟ったという人はいないでしょう。ですから、私たちはみな、成長途上にある者たちと言えます。それゆえ次の言葉を、心に留めるべきだと思います。 第一コリント8:2 

 

人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも

知ってはいないのです。

 

私の絶えざる願いは、目が開かれて、みことばを悟ることです。悟れば悟るほど、祝福され、感謝と喜びに満たされ、豊かに実を結ぶことができるのです。どれくらい祝福され、どれくらい感謝と喜びに満たされるのか言うと、み言葉の約束通りです。 第一コリント2:9

 

「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

 

聖書の教えを「知っている」ことと、「悟っている」ことは、同じでないことをご理解いただけたでしょうか。 聖書を知ったというだけで、実を結ぶわけではないのです。 

悟ると、誰でも、豊かに実を結ぶのです。どうすれば悟れるのですか?

みことばに、従うと、悟れます。              

 

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