2024.9 ルカの福音書7章1-10節
先週は米国から2つの大きなニュースがもたらされた。
1つは、俳優の真田広之さんが主演、プロジュースした「将軍」がTVドラマのアカデミー賞と言われるエミー賞で作品賞、主演男優賞など史上最高の18部門で受賞!
もう一つは、大谷選手の50-50達成!あっと言う間に51-51まで。本当にすごい選手ですね。明るいニュースは米国からもたらされましたが、最高に明るいニュースは聖書からもたらされます。 さあ、ご一緒に聖書を開きましょう。
(1)百人隊長の信仰
今日の箇所の中心的な人物である、百人隊長が2節から出てきます。
ところが、ある百人隊長に重んじられているひとりのしもべが、病気で死にかけていた。
百人隊長は、イエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、しもべを助けに来てくださるようお願いした。
彼は、ローマ帝国の、文字通り百人の部下を持つ軍人です。しかし、ユダヤ人からすると、神からは遠く離れた存在であり、彼らと交わるどころか、ふれることさえも汚れる、と言われた異邦人でした。
ところが、今日の箇所では、ローマ軍の支配者という立場ではなく、自分もユダヤ人の信じる、まことの神を信じる者としてイエス・キリストに向かい、願いを伝えたのです。
彼は、自分で直接イエスさまの所に行かずに、ユダヤ人の長老たちを送って願いを伝えました。何故でしょう? それは、神の選びの民はユダヤ人であり、自分はユダヤに遣わされて、そこで真の神を見出だし、信じる者とされた。けれども、どこまで行っても自分は汚れた、異邦人であるという思いがあったのです。だから、今日の所で見られる謙虚な言動をとり、彼の神の子キリストに対する謙遜な態度となっているのです。
そういうへりくだった態度で、この百人隊長は、イエスさまに病気で死にかけている自分のしもべを助けてくださるように、願ったのです。 そのしもべとは、どんなしもべかというと、百人隊長に「重んじられているしもべ」、口語訳聖書では「頼みにしていたしもべ」とあります。
みなさん、しもべというと聞こえはいいかもしれませんが、わかりやすく言うと奴隷です! 当時の奴隷は家畜同様の扱いで、人間扱いはされていませんでした。使えなくなったら、新しい奴隷を手に入れればいいだけの、そんな扱いだったのです。 しかし、この百人隊長は奴隷であってもひとりの人間として尊重し、頼りにし、重んじて、信頼関係を築いていたのです。彼にとっても大切な存在として、何とか助けてあげたい、と強く願っていたことがわかります。
この2-10節の間に、「しもべ=奴隷」という言葉が5回出てきます。ギリシャ語で奴隷はドゥ―ロスと言います。この5回のうち4回はドゥ―ロスという言葉が使われていますが、7節の「しもべは必ずいやされます。」のしもべだけはパイスという言葉が使われています。これはしもべとも訳せるのですが、「子、若者」と言う意味があります。ですから「この、私の子は必ずいやされる」という、百人隊長のしもべに対する思い、愛を見ることができるのではないでしょうか!
(2)ただ、お言葉をください
百人隊長から送られた長老たちは、イエスさまのもとに来て熱心に願うのです。 4節
「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」
この長老たちの言葉を聞いて、イエスさまはすぐに、百人隊長の家に向かいました。ところが百人隊長は、今度は友人たちをイエスさまの所に使いに出してこう言わせたのです! 6-7節
「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。
ここに、百人隊長のイエスさまに対する徹底的な謙遜さを見ることができます。来なくていいです、しかしながら、しもべの病はいやして頂きたい! 矛盾した思いが湧き上がります。あなたしかいやすことはできません! そう思った時に彼は、信仰に裏付けされた願いをするのです。 7節後半
ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。
彼は、神の言葉の権威というものを信じ、また、権威が力を伴うことを知っていました。ですから、こう続けるのです。 8節
私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。
彼は軍人ですから、権威ある者の命令に対する服従、言われた通りにしなければならないことは、体験的に知っていました。
人間である上官の言葉に服従するのであれば、まして、神の言葉が語られた時、必ずその通りになる、という信仰を持っていたのです! だからこそ、
「ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。」
と、信仰告白ともとれる、願いを伝えたのです!
(3)神のことばの権威
それに対してイエスさまは、9節でこう言われました。
これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群集のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」
これ以上の称賛の言葉はあるでしょうか! 神の子キリストが、これほどまでに人を称えた理由は何なのでしょう? それは「神のことばの権威に対する絶対的な信頼」です。
聖書には記されていませんが、イエスさまは百人隊長の願い通り「あなたの信仰の通りになれ」と言われたことでしょう。 そして、その時、しもべはいやされたのです。
今日、私たちが受け取るべき聖書からのメッセージは、単純ですけれど、大切なことです。
それは、この百人隊長の信仰に倣うことです!
第一に、神の前にへりくだった態度で出ること!
「私は神の前に出られるような者ではありません、ただキリストの十字架ゆえに、神に近づき、語りかけ、交わることができる者とされた、罪人に過ぎません」という態度
もう一つは、神の言葉に絶対的な信頼を置いて、「お言葉をください」と求めること
そういう歩みをしていく時に、驚くような神の御業を見させて頂くことができるのです。