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御霊に導かれて荒野に

執筆者の写真: 木村勉(ジョイチャペル牧師)木村勉(ジョイチャペル牧師)

2024.2/18 ルカの福音書4章1~13節


 イエス・キリストは、先駆者バプテスマのヨハネから洗礼を受け、公の活動を始められました。すると、聖霊が鳩のような形をしてキリストの上に下られ、さらに父なる神から「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」との声をかけられたのです。今日の箇所は、この聖霊に満たされたキリストが悪魔の試みに会われた内容が記されています。


(1)「キリストが試みられた」

 「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」と父なる神から、祝福の言葉を頂いた直後に、悪魔の試みにあわれたのです。私たちの信仰生活の中でも、恵まれた後に、必ず試みがやって来る、という事がしばしばあります。しかし、私たちは、試練に遭えばあうほど強いクリスチャンになることができる!という事を覚えて頂きたい!ヤコブ書1章3-4には「信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」とあるからです。


(2)悪魔の試みは、弱いところをついてくる

 40日間も断食をして空腹を覚えたときに、悪魔は誘惑の手を伸ばして来たのです。最初は、まさに空腹をいやすために奇跡をして見せろ、2番目は、神ではなく悪魔に頭を下げれば、この世の力や栄光が得られるぞ、最後は、神の子の力を人々に見せて驚かせてやれと言って来たのです。しかし、キリストは悪魔の誘惑を、すべて聖書の言葉をもって退けたのです。ここに私たちへの大切なメッセージが示されているのです。悪魔も聖書の言葉を使って誘惑してきますが、都合のいいような使い方をして来ます。ですから私たちは、聖書全巻を読み、神のみ心を正しく理解してみことばを心に蓄える必要があるのです。悪魔のすべての誘惑は、キリストを十字架に向かわせないためだったのです。 


(3)「御霊に導かれて荒野に」

 「荒野を御霊に引き回され」と訳している聖書もあります。キリストは喜んで、あるいは自ら進んで、荒野に行った訳ではなく、御霊に引きずり回されるようにして、自分の意思に反して、強制的に、荒野に追いやられたのでしょう。父なる神はなぜ「愛する子」を荒野に追いやったのでしょうか?それは、キリストがこれから公の生涯に入る前に、人間として、指導者として、訓練をするために、荒野での経験をさせたのであろう、と考えられます。福音宣教の使命に立ち上る前に、厳しい訓練を課せられたのでしょう。私たちの歩みの中でも、私たちが願う事、行きたい所ではなく、聖霊なる神が私たちを、みこころの所へ導き、連れて行く!という事があるのだ、まさに、荒野のような所に、強いて追いやられることがあるのだ、という事を知っておく必要があるのです。 なぜでしょうか? 

<神様により頼むことなしには、信仰生活は前進して行かないから!> なのです。

そして、それを現実のこととして私たちに経験させるために、「荒野に追いやる」のです。

親が我が子の成長を願うように、神さまは私たちクリスチャンの成長を願って、時には、荒野で訓練し、また、大きな祝福、喜びを与えてくださるお方であることを覚え、すべてのことを感謝して、「荒野で、神さまの特別製の恵みを得た.」という歩みをさせて頂きましょう!


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